普段は立派な経営理念を掲げ、従業員・顧客第一主義を標榜しながら、いざ危機になると自社の利益だけを優先し、何もしない企業がある。 その一方で、普段は地道に商売を続け、多くを語らないが、いざピンチが訪れると自分が損をしても人の役に立とうする企業がある。 コロナ禍で評価を上げた会社と、従業員や取引先に冷たい仕打ちを浴びせた会社。混乱の時代の中で、企業を評価する尺度は大きく変わろうとしている。(写真=Natalia Ganelin/Getty Images)
今からおよそ60年前の1959年、日本列島を襲った伊勢湾台風は全国で5000人を超える死者・行方不明者を出した。とりわけ被害が大きかったのが東海地域で、高潮は堤防を崩し、海水が市街地をのみ込んだ。貯木場から流出した大量の木材は家屋を直撃。愛知・三重両県の死者・行方不明者が9割以上を占めた。
そんな中、前例のない対応を取ったのが、当時発足して10年ばかりの名古屋相互銀行(現在の名古屋銀行)だった。
台風から3日後には浸水した支店に代わり、路上に机を並べ臨時窓口を開設。当面の営業資金や生活費を求める人々のため、通帳・印鑑がなくても預金の払い出しに応じたのだ。住民のほとんどが家財を失う惨事を踏まえ、あえて既存のルールを無視。復興の際にも無担保の融資で地域を支え続けた。
「名古屋相銀は本当に苦しい時に助けてくれる銀行だ」。そんな評判が広がって預金が急増。その後、同行が大きく発展する礎となる。
自分も大変なのに他人を思いやり行動する。さすれば巡り巡って自社の繁栄につながる──。当時名古屋相互銀行を動かしたそんな考え方が、日本企業の間で色あせて久しい。
80年代以降広がった株主資本主義の下で重要視され、各企業に要求されるのは、短期利益であり収益力であり資本効率。いかに緊急時とはいえ、利益に直接結び付かない自己犠牲的な判断を下せば、批判すら浴びかねない。
最近は「Environment(環境)」、「Social(社会)」、「Governance(ガバナンス=企業統治)」の3つの観点から企業を分析するESG投資が普及するなど、企業の評価基準は業績や財務だけではなくなりつつある。
しかし、疫病や天災などの災禍が常態化する時代には、もう一歩踏み込んだ自己犠牲を買って出る企業の存在が社会に求められるのではないか。企業価値を高めるためのESGではない。リスクを伴う貢献だ。
2020年の年明け以降、日本を襲ったコロナ禍は、苦しい状況でも人の役に立とうとする「優良企業」と、自社の利益にしがみつく「幻滅企業」をあらわにした。まずは前者の活躍を見ていく。
(山田 宏逸、奥平 力、小原 擁、定方 美緒)
CONTENTS
PART1
緊急雇用、臨時手当…コロナ禍で「評価」を上げた企業
PART2
補償出し渋り、コロナ対策ゼロ…危機が暴く「幻滅企業」