既得権益や規制の壁を壊すことを訴え、挑戦の姿勢を示してきた楽天。社員約2万人を抱える大企業となり、外部からのエリート集団が三木谷氏の脇を固める。組織として雑草魂を取り戻せるかどうかが、「第2の創業」の成否を握る。
「楽天市場を(アマゾンのような)直販型にシフトした方がいいのではないでしょうか」
楽天社内では、三木谷浩史会長兼社長に対してことあるごとにビジネスモデルの転換を役員が促してきた。
楽天は出店者に楽天市場という仮想の商店街を提供し、インターネット上で物を販売する「モール型」のビジネスを祖業とする。弱点は出店者の管理に手間がかかる上、物流や決済の一本化にも時間がかかること。送料問題が起きた背景の一つもそこにある。
「創業ビジネスは変えられない」
自社で商品を仕入れて販売する米アマゾン・ドット・コムのような機動力の高いモデルにかじを切るべきだと決断を促したのだ。だが、三木谷氏はその提案に首を縦に振ることはなかった。「創業のビジネスだからなかなか変えられない。だって店舗さんにはお世話になっているから」──。
今でも楽天における三木谷氏の存在感は絶大だ。創業者として、そしてプロスポーツチームのオーナーとして楽天の「顔」となっている三木谷氏による独裁的な会社とのイメージも強い。
しかし実態は違いそうだ。ある楽天幹部は「マイクロマネジメントしているのは携帯電話事業くらいで、日常のオペレーションはほかの経営陣に任せている。独裁風の集団経営だ」という。楽天市場の戦略に関する会議には、三木谷氏が出席しないことも珍しくない。
三木谷氏を中心に、理念を共有しながらチームで大きな目標に向かって突き進む。それは楽天の創業以来のカルチャーと言っていい。
「ネット通販であればサーバー1個でできる」。日本興業銀行(現みずほ銀行)を辞めて起業を目指した三木谷氏が様々なビジネスプランを考え、行き着いたのが現在の楽天市場だ。
先輩訪問の一環で三木谷氏を訪ねた本城慎之介氏(現在は軽井沢風越学園設立準備財団理事長)、本城氏の大学の先輩に当たる杉原章郎氏(楽天が筆頭株主のぐるなび社長)と小林正忠氏(現チーフ・ウェルビーイング・オフィサー)らが加わり事業がスタートした。
1997年5月の楽天市場のスタート時に集まったのはたった13店舗。そのほとんどが三木谷氏のツテをたどったもので、ビジネスとは言えないものだった。その後、目標を50店舗に設定したが、それも届かなかったことから三木谷氏から各メンバーにこんなメールが届いた。「50社の目標に到達できないのであれば、とても世界に通用するとは思えない」。
当時、楽天のようなネット通販を手掛ける企業は少なくなく、NTTグループをはじめ大手企業が相次いでインターネットサービスに参入していた。そうした中で楽天市場が生き残った理由は2つある。
1つが競合サイトよりも商品情報の更新がしやすく、出店者にとって自由で使いやすいシステムだったことだ。出店者と購入者のコミュニケーションがチャットでできるなど、ほかにはない機能も魅力的だった。
2つ目が、泥臭く進めた店舗の開拓だ。三木谷氏からのメールで火がつき、小林氏や杉原氏が日本全国を飛び回り、出店者を開拓していった。
この記事は会員登録で続きをご覧いただけます
残り3357文字 / 全文4747文字
-
【春割】日経電子版セット2カ月無料
今すぐ会員登録(無料・有料) -
会員の方はこちら
ログイン
【春割/2カ月無料】お申し込みで
人気コラム、特集記事…すべて読み放題
ウェビナー・音声コンテンツを視聴可能
バックナンバー11年分が読み放題
この記事はシリーズ「楽天の岐路 携帯参入、大博打の勝算」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?