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人生100年時代の老後を鮮やかに彩るはずの「生涯現役」や「趣味三昧」の日々。だが、世間で語られる理想のシニア生活を実現できなくても、落胆する必要はない。考え方一つで、普通のシニアが幸福をつかみ取る道は十分残されている。

 「生涯現役」「シニア起業」で最期まで輝き続けることや、「地域貢献」「趣味三昧」で日々の暮らしを充実させることが、幸福な老後をつかみ取る方法であるのは疑いない。

 ただ問題は、すべての人がそれらを実践すれば、幸せな老後が待つわけではないことだ。ではどうするか。解決策の一つは、周囲にどう思われるかでなく、「自分が幸福になれると思える仕事や趣味」を選ぶことだ。

 紺色の作業着に身を包み、誘導棒を振り回す。雨の日も風の日も現場に立ち、車や人を誘導し続ける──。交通誘導警備員は、シニア向け職業の中でも最も過酷に思える仕事の一つだ。

シニア交通誘導員の柏耕一さん。個性豊かな同僚との触れ合いが醍醐味と話す

 「最底辺の職業。はっきり言って、そう思っている人は多いと思う」。現役交通誘導員で、73歳の高齢ながら週に5日前後、都内や千葉県を中心に現場に出る柏耕一さんはこう話す。

 柏さんは大学卒業後、雑誌記者や編集者を経て1981年、35歳の時に東京・神楽坂に事務所を構え、編集プロダクションを経営。以来、300冊以上の出版に携わり、10万部以上のヒット作も数多く手掛けてきた。

71歳で無念の事業清算

 だが2000年代に入り、出版不況が本格化すると風向きが変わる。事業収入が落ち込む中、生来のギャンブル好きがたたり、気付けば約2500万円の税金を滞納するまでに。結局、個人事務所は数年前に清算に追い込まれる。その時、柏さんは71歳となっていた。

 人生100年時代とあって“残りの時間”はまだまだある。問題は経済面。事務所の清算で大きな借金を抱えたわけではなかったが、日々の生活の糧を得ねばならない。飛び込んだのが交通誘導員の世界だった。

 迂回のお願いに文句を言うドライバーから炎天下や極寒の空のもと立ち続ける厳しさまでつらいことはいくらでもある。だが、柏さんは「境遇だけ見ると“下流老人”かもしれないけど、自分を不幸と思ったことはない。むしろありがたい仕事」と日焼けした顔で話す。

 なぜそう思えるのか。柏さんの話を聞くと、交通誘導員という職業に、一般的なイメージとは異なる面があることが分かってくる。

 生涯現役ではつらつとした老後を希望するシニアが、仕事を通じてかえって不幸になったり、ストレスを抱えたりする要因は次のようなものだった。

  1. 事故に巻き込まれる(起こす)
  2. 若い人からの指図に抵抗感を覚える
  3. 自分が足を引っ張っている自責の念に駆られる
  4. 仕事を覚えられない
  5. 単純で刺激の少ない業務で退屈する

 もちろん、交通誘導員にもこうした要素は多少なりともある。が、柏さんは「他の仕事に比べれば、たいして気にならない」と話す。

 まず①については、例えば誘導ミスにより車とぶつかる可能性などはゼロではないが、高所から転落したり、機械の誤操作で負傷したりすることはない。死傷事故が起きる確率は、少なくとも建設業や製造業などの「20分に1度」に比べずっと低いはずだ。

 ②については、「横柄に細かく指示してくる現場リーダー」も中にはいるものの、毎日のように現場とメンバーが変わるとあって、人間関係のもつれを引きずることは少ない。

 ③④は、とりわけ技術革新が速い職場では多くのシニアが覚える感情だが、交通誘導の現場は、毎年「全く新たな誘導技術」が生まれるわけではない。

 そして⑤。確かに単純な作業の繰り返しに見える交通誘導員だが、「難しい状況を判断し、クルマや人の流れを上手にさばいた時には思いのほか達成感がある」。加えて、何よりの醍醐味は、現役時代には会えなかった個性豊かな同僚と触れ合えることだ。

日経ビジネス2020年2月17日号 44~47ページより