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高付加価値工場は来たのか

主要製品の輸出が増加
●2019年のベトナムの主な輸出品目の割合と金額
出所:ベトナム税関総局

 もう一つは現状のベトナム移転の「質」の問題だ。付加価値の高い製品を手掛けるメーカーは拠点を移転させるメリットが小さいため中国にとどまっているようだ。池部准教授は「自動化の進展により中国の製造業が高度化している」ことが海外進出を阻むと指摘する。

 ファスナー大手YKKの現地事業会社、YKKベトナムの敷田透社長も同じような見方をしている。YKKは19年10月、ホーチミンの既存2工場に加え、ハノイ近郊にも約6000万ドルを投じた大規模工場を開業した。近年、中国からベトナム北部に縫製業者が拠点を移す動きが出ていたためだ。その動きが米中対立により加速しているとみられる。労働集約型産業の典型である縫製業は着々と中国からベトナムに生産の軸足を移しているようだ。

 しかし、敷田社長は「高付加価値の婦人服やジャケットの生産は中国に残っている」と話す。中国メーカーは1990年代に技術力を上げ、生産性も高い。縫製業の川上では浙江省や江蘇省で生産される生地や素材の競争力が高く、「この地域を調達先から外すことはできないだろう」と敷田社長は見る。

 OECDの2015年の統計によれば、全世界の製造業による対米輸出のうち、約26%は中国によって付加価値が付けられている。専修大学の池部准教授は「足元で中国の比率はもっと高まっている可能性がある」と分析している。現状では移管が容易な組み立て工程を中心にベトナムに移り、高付加価値製品の生産は多くが動いていないことになる。

 米中貿易戦争が激化し、より幅広い製品に制裁関税の網がかけられるとすれば、付加価値の高い部品や素材も中国からベトナムに動き出すかもしれない。しかし、その間にベトナム生産のうまみが薄れてしまう問題もある。

 人件費はこの10年で2.5倍ほどになり、今後はさらに上昇すると見込まれている。中国や台湾系企業が殺到したことで日系企業の関係者からは「人材の取り合いが始まる」との声が聞かれる。

 縫製業は電子機器関連に押され、既に都市部から郊外へ拠点を移すことを迫られている。少しでも付加価値の高い企業を選別する傾向が始まっており、ロンハウ工業団地のヒエウ部長は「実は縫製業の入居は遠慮してもらっている」と明かす。

 米中貿易戦争が拠点の移転を加速させたことで、ベトナム経済は成長し、社会が成熟するペースは速まった。ワーカーの気質も変わる。「あと10年もつかどうか」。メーカーの間でそんな話がささやかれる。ベトナムも製造業にとって安住の地ではなくなりつつある。

トランプ氏の厳しい視線

トランプ政権は生産の受け皿になる アジア諸国に厳しい姿勢をみせている
●米国のアジア諸国への貿易対応の推移
注:GSP=開発途上国からの輸入関税を一部免除する制度

 ベトナムへのシフトは、トランプ米大統領にとっても無視できないようだ。「ベトナムは中国よりも我々を利用している」。テレビのインタビューでこう語っている。ベトナムから輸入する鋼材には、中国からの違法な迂回輸出ではないかという疑いの目を向ける。

 米国の保護主義的な政策は東南アジアにも及ぶ。開発途上国支援の一環として輸入に際し関税を一部免除する一般特恵関税制度(GSP)では、労働者保護が十分でないという理由を持ち出して今春にもタイを除外する。

 古くは対日貿易赤字を問題視し、今は中国を仮想敵にする米国。住友商事グローバルリサーチの石井順也氏は「赤字対象国が東南アジアに移れば矛先が変わるだけ。今年も米国に翻弄される状況に変わりはない」とみる。

 先が読めない米中対立の行方、ASEANにも広がる保護主義の影響──。「人件費が安いところへ工場を」というサプライチェーンが横並びの時代は終わった。Part3では企業が自ら動いて米中貿易戦争による負の影響を打ち消している動きをみていこう。

労働集約型産業である縫製業はベトナム経済を支える主力産業の一つだが、近年は電子機器関連の進出に押される形で、生産拠点が都市部から郊外へ移りつつある(写真=Bloomberg/Getty Images)