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野村克也さんが亡くなりました。日経ビジネスでは2020年2月10日号の編集長インタビュー欄で、野村さんに「野村再生工場」とも言われた人材育成・活用の要諦を語っていただいたばかりでした(インタビュー実施は2020年1月16日)。心よりご冥福をお祈りいたします。

※追記:2020年2月11日

プロ野球屈指の名捕手であり、監督として多数の選手の能力を引き出したことで知られる。終わったと言われた選手を復活させた「野村再生工場」の秘密はどこにあったのか。選手の名前を挙げながら人材育成・活用の要諦を語ってもらった。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=竹井 俊晴)
PROFILE

野村 克也[のむら・かつや]氏
1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業。1954年、テスト生として南海ホークスに入団。3年目にレギュラーに定着すると、それ以降、球界を代表する捕手として活躍した。監督としては、南海ホークス時代の1970年に選手兼任監督に就任したのを皮切りに、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任した。ヤクルト時代に4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝く。球界を代表する捕手にして監督。

「野村再生工場」の異名を取ったように、野村さんは戦力外になった選手を再生することが得意でした。

 「再生工場」という言葉は、南海(現ソフトバンク)時代に巨人の2軍だった山内(新一氏)や松原(明夫氏)、東映(現日本ハム)の若手だった江本(孟紀氏)をトレードで獲得して、ローテーション投手にしたことから始まったんです。コツと言われるとただ使うだけで何もないけど、選手を育てるという観点で言えば、自信を育てることだと思います。

 僕はキャッチャーとして変な自信があったんですよ。ピッチャーはストライクさえ投げてくれれば、配球によって自分が何とかすると。プロ野球に入ってくる選手ですからある程度の実力はあります。ただ、何らかの理由で自信を失っている。そんな時に、1つ、2つと白星が付くことで見違えるように変わる。再生工場の本質が何かと言えば、それは自信の回復ですよ。

ヤクルトの監督時代は、ダイエー(現ソフトバンク)で2勝しか挙げていなかった田畑一也選手や広島を戦力外になった小早川毅彦選手を貴重な戦力に変えました。楽天では、無名だった土谷鉄平選手が3割バッターになり、オリックスから移籍してきた山崎武司選手は本塁打と打点の二冠王になっています。

 どうすれば選手を生き返らせることができるかはいつも考えていました。阪神で監督をしていた時の遠山(昭治氏)は典型的なケースの一つでした。

 投手には、先発、中継ぎ、ワンポイント、抑えと4つの役割があります。誰もが先発の座を目指しますが、ローテーションの枠は限られています。それでは生き残れないかといえばそんなことはなくて、それぞれの持ち場で輝けばいい。当時の巨人には松井(秀喜氏)と高橋(由伸氏)という左の強打者がいました。彼らを抑えることができれば、遠山は生き残ることができる。

 ただ、彼にはストレートとスライダーしかなかったから、シュートを覚えてもらいました。シュートのイメージがあると、外のスライダーがさらに生きるからね。また、シュートの切れを良くするために、スリークオーター気味に腕を下げて投げるようにしました。そうやって自らの役割に徹した遠山は松井キラーとして活躍の場が広がった。

 バッターだって同じですよ。小早川は来た球を打つだけで頭を使っていなかった。来ないコースを待っていてもしょうがない。配球を読めば、打てる確率は上がります。ちょっとしたアドバイスでガラッと変わるんですよ。

日経ビジネス2020年2月10日号 48~51ページより