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本田宗一郎氏がレースで挑んだ英マン島には、「挑戦」「スピード」という原点が今も残る。現場に残る力を引き出すためにも、より明確な経営からのメッセージが必要だ。日本に広がる「トヨタ依存症」を進めないためにも、イノベーターとしての復活が待たれる。

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 英国のグレートブリテン島とアイルランドの間に位置するマン島。自治権を持ち、独自の通貨や税制度があるこの英国王室属領で、ホンダはちょっとした有名企業だ。「ホンダはすごいマシンを出し、レースで最も名を上げたメーカーだ」。私費のバイク博物館を営むピーターさん(80)はこう語る。

 マン島は土地のほとんどが牧草地帯だが、その合間を縫うようにアスファルトの公道が整備されている。1周60kmのコースを時速200km以上で突っ走るのが、今も続く伝統の「マン島TTレース」。一介の中小企業から「世界のホンダ」へと駆け上がるステップになった登竜門だ。

資金繰りギリギリでの挑戦

 1954年。本田宗一郎氏は「日本の機械工業の真価を問い、これを全世界に誇示するまでにしなければならない」と高らかに宣言し、その舞台としてマン島TTレースを選んだ。52年に「カブ」を発売したものの、当時の売上高は50億円(現在の300億円前後)規模。量産工場への投資が負担となり、資金繰りはギリギリの状況だった。

 54年6月のマン島レースを視察した宗一郎氏は帰国後、TTレース推進本部を設置。リーダーに河島喜好氏(2代目社長)、エンジンの設計担当者に久米是志氏(3代目社長)を任命した。久米氏は後に著書で「まさに五里霧中、登山図もないままにヒマラヤ征服を試みるような先の見えない旅」と記しているが、宗一郎氏の鉄拳指導のもと技術を磨き、59年のレースに初出場して完走。61年には念願の初優勝を果たした。

マン島レースでのホンダの勝利を伝える1961年の英紙。バイクの独特さや精巧さに驚く現地の声が載る

 この成功物語はモーターレースの最高峰「フォーミュラ・ワン(F1)」でも再現される。63年に自動車事業に参入する1年前、宗一郎氏は欧州の自動車雑誌のインタビューで「1年以内に画期的なエンジンを積んだ我々のF1マシンをお見せする」と言い切った。技術レベルとはかけ離れた大風呂敷だったが、久米氏や川本信彦氏(4代目社長)らの極限の努力の末、65年のメキシコグランプリを制したのだ。

日経ビジネス2019年12月2日号 40~43ページより