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大手の進出で個人店が消えた商店街、市場の成熟で大企業中心になった業界……。中小企業が消えた「街」や「産業」はその後、どんな運命をたどったのか。「大廃業時代」を先行体験した人々の証言からは「中小企業淘汰論」の盲点が浮かび上がる。

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 北海道釧路市。かつて炭鉱と水産業で栄えたこの街は、中心市街地の空洞化が全国に先駆けて進んだ場所でもある。昭和から平成初期にかけて「道東随一の繁華街」だったJR釧路駅前の商店街は、今やシャッター通りと化す。

日曜日午後7時ごろの北大通周辺。空き店舗も多く、街は暗い

コケが生い茂る百貨店跡地

 釧路駅周辺はかつて釧路市の、いや道東地域の中心地だった。駅から約1kmにわたって延びる片側2車線の目抜き通り「北大通」には、地元資本の百貨店や娯楽施設が立ち並び、「釧路では『街に行く』イコール北大通で遊ぶことだった」(地元住民)。

 今の北大通には、その繁栄の歴史が寂しげな形で残る。地元のランドマークだった百貨店は閉店後も解体されないまま、10年以上の歳月がたった。閉まったままのシャッターの周りには雑草やコケが生い茂り、違法駐車の軽自動車が止まる。日曜日の午後2時、普通なら商店街が混み合っていてもおかしくない時間なのに、人通りがあまりにも少ない。

 中小・零細企業の集合体だった「道東随一の繁華街」。その異変が始まったのは1970年代後半からだ。この時期から釧路周辺で、道外からの大手小売業の進出ラッシュが始まった。76年、大型スーパーの長崎屋が進出。続いて81年にはイトーヨーカドー、89年にはダイエーが相次いで開業した。

 釧路駅西商店街振興組合と釧路和商協同組合の理事長を務める柿田英樹氏は、地元の中小・零細企業は当時、猛反対だったと明かす。

 客を奪われ、店が潰れかねない。商店街で吸収していた雇用はどうなるのか。慣れ親しんだ店がなくなれば客離れが起きる……。「複数の市場が駅前で栄えていた。小さな店の集まりでやっていた中で、突然の大企業の襲来。客離れを心配したのでしょう」。柿田氏はこう振り返る。

 だがふたを開けると、反対派の予想とはまるで異なる事態が起きた。

 確かに、競争力のない古い中小商店では、櫛(くし)の歯が欠けるように閉店が始まった。だが、同じく心配された雇用への不安は、大型流通業という新たな受け皿によって大きな問題にはならず、多くの消費者は品ぞろえが豊富で価格も安い「新しい買い物先」を歓迎。懸念された客離れは起きず、むしろ入り込み客数が増えた。商店街自体は、衰退どころか活気にあふれたのである。

日経ビジネス2019年11月25日号 34~39ページより