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繰り返し熱心に誘う

 「2000年ごろ、最初にアプローチがあって、(10年近い間に)4、5回はサムスンの人と会った。電話を含めると10回以上接触があったはずだ」。こう言うのは、かつて三洋電機(現・パナソニック)でリチウムイオン電池の開発責任者をしていた雨堤徹氏(現・Amaz技術コンサルティング代表)。サムスンには移らなかったが、1990年代末ごろから2010年に三洋電機を退社して独立するまで、繰り返し熱心に声をかけられたという。

 「狙いは携帯電話やパソコンの電池開発だったようだが、将来は車載電池も考えているようだった」。それまでの年収の2倍の条件も提示してきたという。1990年代半ば以降は、業績不振に陥った日本の電機メーカーが多くの事業から撤退し、腕の見せどころがなくなった技術者を大量にスカウトした。基礎的な技術をどん欲に吸収する一方、日本メーカーとの関係も維持した。92年には東芝からNAND型フラッシュメモリーの技術仕様の開示を受けることで合意し、後の大きな飛躍につながっている。