判断力低下社会で想定されるトラブルは既に顕在化している。百貨店や金融業界では自分の意思で買っているようで、実はそうでない顧客が存在したのだ。上客の様子に異変が表れたらどうするか。もがきながら解決策を探る企業の動きを追った。
「ケア付きシニアマンションで暮らす実父92歳、実母86歳。認知機能の衰えが目立つ。その父母の元に百貨店の外商部が売り込みに来る」「次、来たら実名を出す」(一部改変)
今春、ツイッターにこんな怒りの告発が投稿されると、リツイートは8000件に及び、まとめサイトもできるほど話題になった。昨年、この投稿者の父母の家に多額の領収書があることに、妹夫妻が気づいた。百貨店には来ないように伝えたのに外商の担当者は訪問を続けたという。この投稿者は「明らかに不要な高額商品を父母に売りつけた」と主張している。
「家族の同席を求める」
百貨店の外商部が貴金属や絵画のような高額品を同じ顧客に次々に販売するトラブルは、数年前から時折、表面化している。下の表はその一部をまとめたものだ。このツイッターの告発と同様に、不要な商品の無理な売り込みが目立つ。
売る側の良識が問われてきた
●百貨店・金融で起きたトラブル事例
注:当時の報道を基に本誌作成
日本百貨店協会(東京・中央)によると、東京地区の百貨店で、外商を含む非店頭での売上高が占める割合は9%程度。そもそも外商は高齢者を顧客とするケースが多い。顔なじみになって心を開いてもらい、高額の販売につなげるのは本来の仕事でもある。百貨店側からすると、高齢顧客が「単に好みの商品を選んで買っただけ」と主張する素地もある。
だが、トラブルの頻発は企業として対処しなければならないリスクだ。日経ビジネスは地方を含む百貨店9社に「外商販売で認知症の高齢者に不要なものを売りつけないため、ガイドラインなどの仕組みを設けているか」を聞き取り調査した。このうち大手2社が一定の年齢以上の顧客を対象に「設けている」と答えた。
一社は「商談の際、家族に同席していただいたり、通常は一定以上の金額で交わす注文書を金額にかかわらず確認したりしている」と回答。もう一社は「ご家族の同席を得るか、外商担当者が複数で訪問し、1対1にならないようにする」といった対策を取っていた。
ただ、こうした一貫した対応をしていない百貨店にも言い分はある。「本人が『買いたい』と言っているのを止めるのは、小売業としては難しい」。ある大手は打ち明ける。何を買おうとしているかを勝手に家族に伝えていいのかというプライバシーの問題もあるという。
多くの百貨店は「判断力があるかないかの判断はケースバイケースであり、一律にはできない」との立場だ。本人の認知能力に担当者が不安を感じた場合には家族に連絡したり、逆に家族から様子がおかしくないかと相談された時には販売しないようにしたりと、現場レベルで対応している。
マーケティングに詳しい上智大学の新井範子教授は「企業はこれまで『いかに売るか』だけを追求してきた」と指摘する。「認知症の人などに『どうやって意にそぐわない買い物をさせないか』は検討されてこなかった」という。
金融サービス届ける必要
金銭面で問題が起きてくる
●認知機能低下で起こりがちな事象
出所:大和総研
高齢者取引を巡るトラブルが百貨店と並んで多いのが金融業界だ。
「証券会社社員が特別養護老人ホームに入居する認知症の80代の男性の株券や現金を無断で持ち出し、1億円以上の損害を与えた。地裁は証券会社に賠償を命じた」「信託銀行の行員が、70代の女性にリスクの高い投資信託約2100万円分を販売した。女性は難聴で、ほとんどの話を理解できなかったが『銀行なら安心だろう』と考え購入したところ、2年後、価値が半分になった。地裁は『原告の実情と意向に反し、危険を伴う取引を勧誘した』と認定した」──。いずれもこの10年ほどの間に報じられた金融機関の不祥事だ。
日本証券業協会(東京・中央)はトラブルの頻発を受け、2013年に業界の自主規制となるガイドラインを制定した。75歳以上の顧客に株式投資信託などを販売する際は役職者による事前承認を必要とし、営業当日には注文を受けないといったルールを定めた。
認知症が疑われれば販売しないのは当然だ。しかしガイドラインにのっとると「すべての高齢者に金融サービスをまったく提供してはいけないという意識になりかねない」と懸念する声はかねて金融機関から挙がっていた。ガイドラインは75歳以上、80歳以上など年齢で区切っているが、若い頃から投資を続け、生きがいや趣味としている高齢者もいる。野村証券の山賀賢司営業企画部長は「高齢化が進み平均寿命も延びる中、高齢者にも多様なニーズに合わせた金融サービスを届ける必要があるのではないだろうか」と話す。
そこで野村証券は「ジェロントロジー(老年学)」と呼ばれる学問に着目した。医学や生物学、社会学、心理学などから、老年期に発生する問題を研究する分野だ。今年4月には持ち株会社の野村ホールディングスが慶応義塾大学などと共同で、高齢者の資産管理や運用の課題を研究する「日本金融ジェロントロジー協会」を立ち上げた。年齢ではなく、商品のリスクを理解し、判断できる顧客とそうでない顧客をどう線引きするのかという解が見つかりにくい問題の検討を始めている。
野村証券は加齢による体や考え方の変化、金融資産の管理の在り方など、高齢の顧客について基礎的な知識を学んだ営業担当者を全国の支店に計180人配置した。その地域から異動する可能性が少ない30~40代の社員が中心で、彼らには収益目標を持たせていない。高齢の顧客と時間をかけて対話すると同時に、家族とのつながりを強めていく。金融商品の販売額に拘泥せず、まず悩みを聞き、いずれ販売に結びつけばいいという姿勢だ。
日本は家計金融資産の6割以上を60歳以上の世帯が保有しており、金融業界にとって高齢者への対応は本来、収益源といえる。しかし、無理に営業をかけることはできない。各社各様の取り組みが始まっている。
シニアの日常を疑似体験
あおぞら銀行の若手社員は高齢者の身体的な苦痛を実体験。接客に生かす
「わあ、しんどいんだな」「よく見えない」──。シニア層向けの資産運用コンサルティングに特化するあおぞら銀行。今年5月、20代の若手社員4人が、白内障の人の視覚を再現するゴーグル、音が聞こえづらくなるヘッドフォン、体の動きを制限するプロテクターといった器具を使い、高齢者の“日常”を疑似体験した。
4人は器具を付けたまま外を歩き、あおぞら銀の店舗でATMを操作したり、窓口で遺産相続に関する資料の説明を受けたりした。「お客様が苦労して店まで来てくれることが分かった」「これまでの自分の説明口調は速すぎたんじゃないか」。4人は口々に感想を語る。
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