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高齢化の進行に伴い、認知症患者でなくとも、人々の判断力は衰えていく。医療や介護のコストがかさむだけではない。家庭や職場が抱える負担も大きい。これから日本はどうなるのか。現実の問題を手掛かりに判断力低下社会の将来を考えてみた。

(写真=PIXTA)

 「会社を乗っ取るつもりか」。東日本にある従業員40人の小さなメーカーが今夏、大混乱に陥った。数年前、70代になってから会社を引き継いだ社長が、体力や能力の低下を自覚して古参社員に経営を譲る準備を始めていたのに、突然翻意したのだ。

 後継者がミスをしたわけでも、社長に逆らったわけでもない。株式の一部も譲渡してもらっていた。それなのに後継者が事業承継の相談を始めると、社長は激高したという。「以前から相談してきたことを忘れている……」。周囲は異変を察知したが、対応のしようがなく、時間だけが過ぎていく。

 中小企業は2016年6月時点で全国に357万社あり、25年までに70歳を超える経営者は245万人に達する。そのうち半数以上は後継者が決まっていない。認知機能が衰える社長が増えると、日本の産業を下支えしてきた中小企業の力は徐々にそがれていくだろう。

65歳以上人口が4割に迫る
●高齢化の推移と将来推計
出所:2019年版高齢社会白書

袋小路に陥る中小企業

 別のあるメーカーでは社長のミスが会社を倒産寸前まで追い込んだ。数億円を借りた複数の金融機関との繰り延べ交渉をすっかり忘れてしまっていたのだ。直後に社長が病に倒れて息子が後を継ぎ、円滑に事態を収めたが、ここでも社員は立ち往生するばかりだったという。中小企業の事業承継に詳しい湊信明弁護士は「社長に認知症の兆候があっても従業員は解雇される可能性などを考え、はっきり進言できない」と指摘する。会社の内情を取引先にも言えず、袋小路に陥る中小は数多い。

 認知症の症は症候群という意味だ。認知機能に関し幾つかの症状が表れる際に医学用語として使われる。社会生活や対人関係への支障がおおむね6カ月以上継続した状態になると一般的に認知症と診断されやすい。

 様々な原因で脳の細胞が死んだり、働きが悪くなったりして記憶力や判断力などに障害が出る。よく知られる「アルツハイマー型」は大脳の広い範囲の神経細胞の働きが失われる。もの忘れから始まり、段取りが立てられない、薬の管理ができないといった症状が起きる。脳梗塞や脳出血などが原因の「脳血管性認知症」など計4種類がある。

 年をとれば誰もが物事を思い出しにくくなり、新しいことを覚えるのが苦手になる。こうした加齢によるもの忘れと違い、認知症は体験したこと自体を忘れたり、もの忘れの自覚がなかったりする。時間や自分がいる場所が把握できなくなることも珍しくない。街中で立ち尽くしてしまう。唐突に隣戸のドアをたたいて「開けろ」と叫んでいるとの連絡がマンション管理会社に入る──。各地でトラブルは次々に発生している。

 政府が19年3月に開いた「認知症施策推進のための有識者会議」の資料によると、65〜69歳に占める認知症の比率は2.9%にとどまるのに対し、75〜79歳では13.6%に達する。85〜89歳は41.4%と加齢に伴い急増する実態が鮮明だ。全体の人数で見ると、65歳以上の認知症の推定者数は15年で525万人(17年版高齢社会白書)。有病率の上昇シナリオでは25年に730万人となる。40年には953万人まで増え、高齢者の4人に1人となる見込みだ。

認知症は近い将来、高齢者の2割超に
●65歳以上の認知症患者の推定者と推定有病率
出所:2017年版高齢社会白書
日経ビジネス2019年9月23日号 30~35ページより