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日本企業を超え、欧米の大企業と比べても、高い技術力や製品力を持つファーウェイ。その力を米国政府は恐れ、中国を代表する企業として禁輸措置などを打ち出している。だが、貧困からはい上がった創業者は米国との争いさえも糧に変えようとしている。

任正非氏の歩みとファーウェイの売上高
任正非氏は深圳市内の共同住宅の一室でファーウェイを立ち上げた

 目覚ましい経済発展を遂げたとはいえ、なお沿岸部と内陸部の「東西格差」が残る中国。その中でも貧しい地域の1つとして知られるのが中国南西部にある貴州省だ。ファーウェイの創業者、任正非CEO(最高経営責任者)はこの地から一代で米国が危険視する巨大企業を作り上げた。

 貴州省の省都である貴陽市からアジア最大の滝とされる「黄果樹瀑布」を目指す観光客達とともに一時間強ほど電車に揺られると、少数民族の苗(ミャオ)族や布衣(プイ)族の自治区があることで知られる安順市に着く。任氏の生まれ故郷である。

 安順市も現在の中国の地方都市の例に漏れず、市中心部の大通り沿いは再開発が進み新しいマンションやビルが建ち並び始めている。だが一本路地裏に入れば、今も一昔前の中国と同様の光景が広がる。

任正非氏が生まれた貴州省安順市には開発から取り残された地域も残る。

 任氏が住んでいたと思われる地域には、壁がボロボロで窓もない家屋が残るスラム街が広がっていた。日用品店で店番をしていた初老の女性に任氏について聞くと、「ファーウェイの任さん?老板(社長)なの?住んでいたのはいつのこと?」と困惑した表情を見せた。その日を生き抜くのに必死な住民には、中国を代表する大企業のトップも米中貿易摩擦も遠い世界の話だ。

 地方政府の支所の男性職員も「ずっと前のことで、(任氏が)どこに住んでいたかはもう分からない」との答え。「でもファーウェイはデータセンターも作ってくれて、貴州にとてもよくしてくれている。貴州の誇りですよ」と笑顔を見せた。

 任氏が貴州で暮らしていた当時を振り返った「私の父と母」というエッセーがある。

 任氏の両親は安月給の教師だった。7人の子供全員を学校に通わせていたこともあり、生活は困窮を極めた。任氏は高校卒業までシャツを着たことがなく、学校では夏でもずっと厚手のジャケットを着ていたという。

 食料は厳格に管理されていた。育ち盛りの任氏は常に空腹を感じていたが、家の食べ物を任氏が余分に取れば、幼い弟や妹が命を落とす可能性がある。任氏は、こうした貧困に耐えた経験を通じて経営に必要な我慢強さが培われたのかもしれない、と振り返っている。

 高校卒業後、任氏は重慶建築工程学院(現・重慶大学)に進む。その在学期間中、任氏のみならずその後の中国人全体の思考に強烈な影響を及ぼす出来事が起きた。

日経ビジネス2019年9月9日号 34~37ページより