(写真=アフロ)
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 今夏、国内でも有力な地方銀行、C銀行で若手・中堅社員の給与が大幅に上がった。有望な社員が相次いで離職しており、事態を重く見た経営層が待遇改善に乗り出したという。しかし、実際に今年4月にC銀行を退職した山口翔氏(仮名)は、そんな対応に冷ややかな目を向ける。「自分が辞めた最大の理由は待遇ではなく、自分が納得できないものを売らされるのが嫌だったからだ」(山口氏)

 山口氏は大学を12年に卒業し入行。学生時代は吹奏楽部に所属し、スポーツの試合などをブラスバンドで盛り上げることに熱中した。地銀の門をたたいたのは「頑張っている地元企業を応援したい」という純粋な気持ちからだった。

 1年目は新人研修も兼ね、預金業務や住宅ローンの審査、融資の事務などの部署を回って経験を積んだ。希望していた融資先企業への経営改善支援を担当するようになったのは4年目から。経営改善のクライアントは、C銀行の融資を受けたものの返済が滞った中小企業だ。そうした会社の現状を分析し、経営者と共に収支改善の方法を模索し、二人三脚で返済への筋道を立てる。「天職に出合ったと感じた」と当時を振り返る山口氏。成績も上がり、不良債権の回収額では目標のおよそ3倍を達成するようになった。C銀行内では「顧客の返済が遅れたら山口」とまで言われるようになったという。

 そんな山口氏は一体、何が気に入らなくて辞めたのか。

相手が嫌がるものを売るつらさ

 転機となったのは、投資商品を販売する部署に異動になった後で、いつの間にか経営改善支援の専門部署の閉鎖が決まっていたと知ったことだ。経営改善業務は兼務などで存続するが、上は「やりたければセールスの合間でやれ」と言わんばかりの姿勢だった。

 低金利政策とネット銀行の台頭などによって、地銀に限らず多くの金融機関は融資を中心とする既存の商売では十分な収益を上げられなくなりつつある。そこで期待されているのが投資商品の販売。だが19年7月に発覚したかんぽ生命保険の不祥事を見ても分かる通り、それは一つ間違えると顧客の金融リテラシーの低さにつけ込み、銀行にとって都合のいい商品を押し売りする行為になりかねない。

 山口氏自身、2年目から3年目にかけて個人向けの投資型商品を売ったり、地主に融資を持ち掛けたりといった営業を担当した時期があった。何よりも嫌気が差したのは、トップダウンで掲げられる無理な営業目標でもなければ、他行との不毛な営業合戦でもない。「相手が求めていない商品を売ることそのもの」と振り返る。

 それでも山口氏はC銀行の中で進路を模索し、金融犯罪対策の業務に関心を持つ。しかし、人事に相談すると返ってきたのは「異動できるのは20年後」という言葉。これで山口氏は転職を決意した。偶然にもこの時期、他部署の若手優秀層の離職も相次いだ。理由は様々だが、離職を決断した大本の背景には、山口氏と同様に、産業支援という銀行本来の業務から、利益欲しさに投資商品販売へかじを切る経営方針への疑問があったという。

 ところがC銀行の経営層や人事はなぜか「若手が辞めるのは、待遇が悪いから」と一方的に判断。それが冒頭の待遇の見直しにつながっている。

 確かに収益基盤が揺らぐ中、C銀行の給与水準は中長期的に下がっており、現に7年目の山口氏の待遇も、入社時の想定に比べると300万円近くも低かった。しかし、山口氏は「ピントを外している」と話す。現在は全く別の業界の大手企業に転職。社内の新規事業部門で活躍中だ。

 ジャパンネット銀行の調査によれば、18~25歳の男女のうち、自分の親よりも多くの生涯賃金を稼げる自信があると答えた人は約36%。過半数の若者は将来の自分の経済状況に不安を抱いており、人材定着のために給与を改善するのは理にかなう面もある。

 しかし、それは一般を対象とした話で、山口氏のように「次」が比較的容易に見つかる優秀層には、効果が薄い。むしろ引く手あまたの優秀な人材ほど「いくら報酬が高くても、自分なりの正義を感じられない仕事はやりたくない」と考えている、と見るべきだ。

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