入社早々辞めるのは、仕事についていけないダメな若手──。そう考えるのは大間違いだ。企業によっては、即戦力で活躍する優秀な新人ほど早期離職するケースが少なくない。そんな有望株が語る離職理由と、人事部や先輩社員が考える理由はかなり異なる。

2019年1月、都内の大手材料メーカーA社の社内は騒然となった。入社3年目の若手社員、飯沼和歌子氏(仮名)が突然、退職を願い出たからだ。彼女がその意志を伝えに行くと、当時の人事トップはあまりに呆然として言葉が出てこなかったという。
人手不足が深刻化する中、苦労して採用した若手が辞めるのは残念なことではある。だが「そうはいっても、たかだか3年目の社員が1人辞めただけで大げさではないか」と思う人もいるに違いない。実際、産業界全体を見ても、この10年、大卒新入社員の3年以内離職率は一貫して3割程度で推移。年間200人の新人が入社する同社も事情は同様で、入ってきた若手が辞めていくのは今に始まった話ではない。
「仕事を覚えられないダメな新人が『自分の居場所はここじゃない』などと言って姿を消すのは散々見てきたし、普通の若手が辞めるのなら誰もここまで騒がない」と同社中堅社員は話す。しかし飯沼氏の場合は別だ。他の誰よりコストをかけて採用し、既に人事制度の刷新など様々な社内改革で活躍する逸材だったからだ。
人事部総出で入社打診
有名私立大学で英語を専門に学び、大学3年時点で米西海岸の超名門大に留学。英語が堪能な上、初対面の相手ともあっという間に良好な人間関係を築くのが得意で、米国仕込みのマネジメント論にも明るい。A社の人事部門は大学4年生の6月に留学から帰ってきた飯沼氏と非公式に接触し、部署総出で自社の魅力をアピール。複数の面談を経て入社を打診した。
外資系企業からも引く手あまただった彼女があえてシリコンバレーでも東海岸でもなく、就職先として日本の製造業を選んだのは「古い業界だからこそ、その潜在力を引き出す上で自分が役に立てると思ったから」だ。
当時のA社の状況にも興味を持った。同社は10年ほど前から、グループ展開してきた事業子会社を吸収合併で束ね直し、外部からプロ経営者を招聘して組織を再編する経営改革を続けていた。が、社内には、旧子会社単位の派閥が色濃く残り、経営合理化と効率化は思うように進まない。また同時期に進めていた海外M&A(合併・買収)でも、やはり統合に時間がかかっており、グループとして人事制度一つ整理しきれていない状況だった。
飯沼氏は16年4月に入社。本人の希望通りに人事部に配属となった。人事を選んだのは、留学先で深く学んだマネジメントの知見を最も発揮できると考えたからだ。
A社は入社直後から、飯沼氏に特別なチャンスを数多く与えた。本配属になってまもなく人事部の実務を統括するリーダー社員の補佐役に抜擢。人材育成プランの策定といった通常業務と並行し、組織運営の現実を早くから伝え、アイデアを次々に実行に移させた。その結果、飯沼氏は目覚ましい活躍を見せる。例えばグループ傘下企業の福利厚生制度の統一をほぼ単独で遂行。数十の会社でばらばらだった保険制度は整理され、保険料は下がったのに内容は以前より充実したという。
次は本丸の人事制度改革──。突然の辞表提出は、周囲の誰もがそう思っていた矢先だったという。一体、彼女は何が気に入らなくて辞めたのか。
「今でも会社には愛着がある」
こんなときによく指摘されるのは「今どきの若者ならではの、愛社精神の欠如」。華麗な経歴でどこにでも転職が可能であるがゆえに、最初からA社のことなどどうでもよかったのではないか──という見立てだ。実際、社会全体では「愛社精神の薄い若手」が昔より増えているのは事実のようで、マイナビ転職による「2019年新入社員1カ月後の意識調査」によれば、約37%の新入社員が5年以内に転職したいと回答。一方、「定年まで今の会社に勤めたい」という人は22%程度しかいない。
ところが、その真意を飯沼氏に聞いたところこんな答えが返ってきた。
「A社には今でも愛着がある。辞めたのは、自分が頑張ってもA社を変えられない現実に絶望したから。本当に愛社精神がなければとっくに辞めている」
社歴が古く、様々な派閥の駆け引きが日夜行われているA社で制度改革を進めるのは骨の折れる仕事だった。部長クラスはほぼ全員が、事業会社の吸収合併以前に入社した50代のプロパー社員。飯沼氏が一人ひとりに事前に根回しをして会議を設けても、変化を伴う改革には非協力的だった。
それでも2年目の終わり、他業界大手のグローバル人事部門からの引き抜きを断った時期には、飯沼氏はめげていなかった。しかし、18年10月に社長が交代し、次なるミッションとして準備を進めていた社内制度が振り出しに戻ったとき、心が折れたという。
「自分が考えたプランが正解かはともかく、何らかの人事改革なしにA社に未来がないのは明らかだと思う。でも今の状況ではその早期実現は難しい」と飯沼氏。要は、辞めたのは「愛社精神がないから」どころか「好きだからこそダメになっていく姿を見ていられなかったから」というわけだ。
並みの人材なら、それだけの理由で転職を決断することはないかもしれない。だが飯沼氏は優秀だ。今年4月から人事系ベンチャーに入社し、待遇はA社時代よりも大幅に上がったという。
変わる「辞めた3割」の中身
新入社員の3人に1人が3年以内に退職する時代になり10年。若手の早期退職自体はもはや珍しいことではない。しかし、人事分野の専門家であるリクルートマネジメントソリューションズ組織行動研究所の古野庸一所長は「3割という比率は変わらなくても、中身は変わっている」と証言する。具体的には、仕事をこなすのがやっとの平凡な若手ではなく、企業がより必要とする優秀な人材ほど会社に見切りをつけるようになっている、というのだ。
そして、既に見たように、有望株が辞める理由は、人事部や先輩社員が考える一般的な理由とは異なるケースが少なくない。
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