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世界で相次ぐ高額医薬品。その大きな理由には、創薬の技術革新がある。リードするのが米国だ。世界中から人やお金が集まり、画期的な新薬を続々と生み出している。なぜ、医薬品は高くなるのか。米国の「創薬エコシステム」の現状を見ることから理由を探ってみよう。

 誰もが革新的な医薬品の実用化が加速していることを実感していた。

製薬・バイオ産業の世界最大の国際会議「BIO2019」には世界中から約1万7000人が参加。大半の参加目的は商談だが、経営者や投資家、政治家、政府関係者、患者団体代表などによる講演やディスカッションも行われる

 6月3日から6日にかけて米ペンシルベニア州フィラデルフィアで開かれた世界最大の製薬・バイオ産業の国際会議。基調講演で米バイオベンチャーのアルナイラム・ファーマシューティカルズのジョン・マラガノアCEO(最高経営責任者)はこう言ってみせた。「我々はイノベーションの奔流のさなかにいる」

 アルナイラムは「RNA(リボ核酸)干渉」と呼ぶ遺伝子技術を応用した医薬品を世界で初めて商品化した企業だ。遺伝性の難治性神経疾患の治療薬「オンパットロ」。2018年8月、米国で販売承認を受けた。

 アルナイラムにとどまらない。米国は今、最先端の医療技術とされる遺伝子治療を大きく前進させている。17年にスイスの製薬大手ノバルティスの白血病治療薬「キムリア」が米国で初承認されて以降、19年5月のノバルティスによる乳幼児の難病治療薬「ゾルゲンスマ」まで、すでに4つの遺伝子治療が承認されている。日本では5月にキムリアの公定価格(薬価)が1回当たり過去最高の3349万円に決まり、注目を浴びたが、米国では新たな遺伝子治療が続々と実用化に向かっている。

 冒頭の国際会議の会場となったフィラデルフィアは遺伝子治療の「聖地」とも呼べる地域だ。キムリアはフィラデルフィアにあるペンシルベニア大学の研究を基にした製品。キムリアと同じ17年に承認を受けた米スパーク・セラピューティクスの遺伝性眼科疾患治療薬「ラクスターナ」もフィラデルフィア小児病院(CHOP)の研究から生まれた。この薬は遺伝子を直接体内に注射するタイプとしては米国で初めての製品だ。

 「ペンシルベニア大学は1990年代初めに誰よりも先んじて遺伝子治療に投資すると決め、CHOPとともに戦略的に基礎研究、臨床研究を重ねてきた。長期間、基盤整備に投資し、人的リソースとノウハウを培ってきた」。キムリアの開発をリードしたペンシルベニア大学のカール・ジュン教授はそう振り返る。

世界初の死亡事故をバネに

 すべてが順調だったわけではない。ペンシルベニア大学では99年、遺伝子治療による世界初の死亡事故が発生。2002年には欧州で遺伝子治療を受けた子供が副作用で白血病を発症したこともあり、世界的には遺伝子治療の研究は下火となった。

 それでもペンシルベニア大学とCHOPは諦めなかった。死亡事故を乗り越え、遺伝子治療の有効性と安全性を高めてきた。そうした研究基盤を生かしてノバルティスなどの製薬大手やベンチャーが実用化を目指す。スパークは、創業した13年当時は投資家探しに苦労したが、「CHOPの出資を受けたことで起業できた」とキャサリン・ハイ社長は言う。

 大学、病院、企業が一緒になって最先端の医療技術の開発に取り組んできたフィラデルフィア。それがキムリアやラクスターナといった画期的な新薬を生み、一時は下火となった遺伝子治療の研究を活発にさせた。

米国では遺伝子治療の開発が活発に
●米食品医薬品局に提出された遺伝子治療の新薬臨床試験開始届(IND)の件数
出所:日経バイオテク2019年6月10日号

 米国で医薬品を審査する米食品医薬品局(FDA)に新たに申請された遺伝子治療の新薬臨床試験開始届(IND)の件数を見れば、一目瞭然だ(上のグラフ)。18年に200件を突破している。12、13年までの4倍を超える水準だ。

 1990年代から研究を続けてきたフィラデルフィアが「点火」したともいえる米国の遺伝子治療ブーム。フィラデルフィアには多額の投資マネーが流れ込んでいる。

 例えば、ペンシルベニア大学で長く遺伝子治療の研究をリードしてきたジェイムズ・ウイルソン教授が共同創業者であるパッセージ・バイオというベンチャー。今年2月、最初の資金調達にもかかわらず、1億1550万ドル(約125億円)が集まり、業界を驚かせた。

日経ビジネス2019年8月5日号 28~33ページより