1980年代の労働組合との闘いと、90年代のルノーとの提携交渉。企業としてのていを維持する重要な局面を、日産はどう乗り切ってきたのか。「経営危機」に立ち向かった男たちが古巣の日産を思い、インタビューに応じた。

 日産自働車の歴史で避けて通れないのが労使の衝突だ。労組トップの塩路一郎氏は1970年代以降、当時の石原俊社長とぶつかり経営の停滞を招いた。そこに立ち上がった1人の課長がいた。渉外担当だった川勝宣昭氏は79年、同世代を集めて地下組織を結成。塩路氏を失脚に追い込むきっかけをつくった。

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