1999年、仏ルノーから派遣された男は破綻の瀬戸際にあった日産自動車を救った。あれから20年。カリスマとして日産に君臨したカルロス・ゴーン氏は被告の身になった。20年にわたる「ゴーン改革」は日産に何を残したのか。その功罪を検証する。

 1999年3月中旬。経営破綻の瀬戸際にあった日産自動車の塙義一社長(当時)は仏ルノーとの提携交渉のためパリに向かった。数日前にはルノーと並行して交渉を進めていた独ダイムラークライスラー(現ダイムラー)から断られたばかり。日産に残された選択肢はほぼルノーしかないという状況だった。

 シャルル・ド・ゴール空港で塙氏の到着を待ちかまえるメディアの目を避けるため、到着した塙氏らは警備員に守られながら空港内のホテルに入った。

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