「企業事件史の歴史的転換点」。危機管理コンサルタントの江良俊郎は、 2000年6月に起きた雪印乳業(現雪印メグミルク)の食中毒事件をそう位置付ける。

 「消費者を敵に回すと、あっという間に退場させられる。川上(企業)と川下(消費者)の力関係が逆転した時代が到来したことを知らしめた」(江良)

(写真=ImagineGolf/Getty Images)
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会社の意義を考え抜く

 「私は寝てないんだ」

 社長の石川哲郎は、会見場で記者の質問に答えられず、会見を打ち切って逃げようとした。そして、追いかけてくるカメラの前でそう怒鳴る。

 その映像がテレビで流れると、猛烈な批判を浴びることになる。戦後最大の1万5000人に上る集団食中毒事件を起こし、まだ多くの被害者が痛みに苦しんでいる最中の出来事だった。

 雪印の商品は棚から消えていった。そして、発言から2日後、石川は辞任表明に追い込まれる。追い打ちをかけるように、翌01年10月に、グループ会社が補助金を搾取する牛肉偽装事件が起きる。批判の渦の中、多くの事業を分割・売却することになる。主力事業だった牛乳も分離された。

 そのまま会社は尻すぼみに消えていくかに見えた。だが、現在は11期連続増収を記録し、解体後に2700億円まで落ちていた売上高は、今期末6000億円の大台に達する見込みだ。

 この復活劇は、会社の解体にポイントがある。巨大事件の裏で、経営トップは何を考えたのか。その内幕を、石川から社長を引き継いだ西紘平に聞いた。今は経営の一線から引いて、西武線沿線のマンションに住んでいる。

 「2度も事件があったでしょう。特に2度目を起こして、あの混乱状態で、すべての事業を束ねて再建することは難しかった」

 ブランドが沈んでいく。それは、組織肥大化の末路でもあった。1925年、バター生産で始まった雪印は、その後にチーズやアイスクリーム、牛乳にも進出し、食肉や冷凍食品など多くの食品事業を組織に積み重ねた。乳製品への補助制度もあって、新たな商品を開発しなくても利益が上がる。次第に巨大組織は官僚化し、事業間の壁が厚くなり、上下にも階層が増えていった。

 管理職時代から、西はこうした経営の問題を痛感し、「このままではもたない」と感じていたという。

 「販売店から『新商品が出ないのか』とぼやかれていた。昔からの商品を、パッケージだけ変えて売っていた」

 意思決定も気が遠くなるほど時間がかかった。西は常務時代、管轄する工場の老朽化した製造ラインを更新できなかった。巨大組織で、上下左右のあらゆる部門から了承を取らなければならず、伝言ゲームのように稟議書が回っていく。そのうち、反対や批判が出てきて、案件が組織の迷宮の中に消えていく。責任の所在も不明確だった。

 だからだろう。西は、2002年の牛肉偽装事件に揺れる中で、「市場の恐怖」を感じたという。

 「ものすごく変化が速くて、ついていけない。この先、今の組織だとダメだな、と確信した」

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