かじ取り不能の巨艦・郵政
バブル崩壊後の最初の10年は、株と不動産の暴落によって金融機関や不動産会社の破綻が相次いだ。
時代が21世紀に変わると、次は巨体のまま生きながらえた「巨大組織」が、その膨張を止められず、重さに耐えきれなくなっていく。
2000年、そごうが民事再生法を申請して破綻、さらに流通日本一だったダイエーも04年に産業再生機構の支援が決定し、最終的にイオングループに吸収されていく。
無理な売り上げ目標から粉飾決算に手を染める大企業も後を絶たない。05年にカネボウが巨額粉飾でトップが逮捕され、会社も事業売却によって消えていく。11年にはオリンパスが1000億円もの損失隠しを続けていたことを外国人トップに暴露される。15年に発覚した東芝の粉飾決算は、いまだその後遺症で会社が揺れている。
そして、経済に重くのしかかる国家的組織にもメスが入る。
郵政改革。01年4月から5年半に及ぶ小泉純一郎政権で、最大の政策課題だった。全国2万4000の郵便局を持つ物流ネットワークは、同時に郵貯と簡保で300兆円超を集める「世界最大の金融機関」でもあった。その膨大なマネーは、国債などを通して公共事業に流れていった。小泉は、郵政を民営化して、非効率な経済システムを改革すると宣言した。

その布石が、郵政事業を独立採算の「日本郵政公社」に切り替えることだった。そして、初代総裁を、商船三井会長だった生田正治に依頼する。生田は財界きっての郵政民営化論者として知られていた。
03年4月、生田が郵政公社に乗り込む。そこには想像を超える硬直した組織があった。

経営委員会でのこと。役員28人の背後には、3人ずつ「お付き」の職員が控えている。質問すると、後ろの職員が分厚い書類をめくって、役員にひそひそと助言する。
2カ月後、ついに生田はこう切り出した。
「次回からお付きは禁じます」。役員は担当する現場を把握していない。それでは、改革の議論が上滑りになる。
民間の会計基準も導入した。従来通りの予算と実績も出すが、その一方でバランスシートや損益計算書も作成した。その背景には、会議での役員の発言があった。
「おい、この支社は予算が残っているじゃないか。早く使い切れ」
生田はその発言をさえぎった。
「ちょっと待て、カネが残ったら褒めてあげるべきじゃないのか」
コスト意識を徹底しなければ、生産性は高まらない。上意下達の組織風土を変えるため、役職で呼び合うことをやめ、「さん」付けに変えた。トップも新人も、意思決定の直前までは同じ立場で議論する。生田は改革に手応えを感じていたという。
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