全5440文字

 拝啓 日経ビジネス編集部様

この度は父、和田一夫に取材の依頼をいただき、ありがとうございます。90歳を前に車椅子生活を送る父は、筆を執ることが難しい状態ですので、父の話を聞き、娘の私が代筆したものでありますことをどうぞお許しください。

 1月下旬、編集部に1通のメールが届いた。差出人は和田一夫。地方発の流通コングロマリットとして一時代を築き、積極的な海外展開で世界に名をはせたヤオハングループの代表だ。父が熱海で営んでいた青果店をスーパーに鞍替えしてチェーン展開。百貨店など、異業態にも触手を伸ばした。

家業の青果店を一代で国際的流通コングロマリットのヤオハングループに育てた和田一夫。しかし、過剰投資により経営破綻に追い込まれる(写真=読売新聞/アフロ)

 転換社債など直接金融を積極的に活用して拡大路線をひた走ったが、店舗の標準化といった運営の効率化はなおざりにされ、次第に収益が細っていく。

 1996年に経営危機が表面化。弟の晃昌が粉飾決算に手を染め逮捕される事件も起きた。最後はイオングループの支援を受け、2002年にマックスバリュ東海へと看板を替える。海外店も売却され和田の「帝国」は解体された。

ヤオハングループ元代表

 あれから17年。和田に破綻の真相を振り返ってもらった。

 妻のきみ子が構想として温めてきてくれた私の生前葬が昨年7月に実現した。趣旨は、「お詫びと感謝の会フロム和田一夫」。倒産後、社員の葬儀に香典すら持っていけず、不義理をしたまま長い年月が過ぎた。生を全うする前に、多大なご迷惑をおかけしたお詫びと、支えてくれた感謝を表現したかった。あれから長い年月がたち、連絡が取れる方には限りがあった。取引先の方々の連絡先が手に入らず、なすすべがないまま今日に至っている。

 倒産を振り返ると、1990年代、私は猪突猛進の姿勢でヤオハンのコングロマリット化を目指していた。後ろを振り向くのは退化に等しい、と。特に、93年に母のカツが亡くなると、歯止めをかける人もいない。チャンスと見ると、強烈なゴーサインを出した。

 私には妙な説得力があるようで、プロジェクトの素晴らしさをとうとうと説明すると関係者がその気になってしまう。実際、私はバランスの取れた経営者ではなかった。その不足を補って、進言してくれる側近もつくれなかった。

 弟の晃昌の粉飾決算も、資金調達の条件をクリアするために、やむなく数字を飾ってしまったことが倒産後しばらくして分かった。「タイムリーな資金調達が至上命令」と考え、私のビジョンに忠実であったがため、一線を越えてしまった事実に愕然とした。人としての善悪よりも、会社の発展という目的が重くなっていた。目覚ましい発展が続けば続くほど、悪い報告はしにくくなる。そういう空気が社内に充満していることに気づかず、私は問題の本質に目を向けるに至らなかった。

 経営の大事な要項に「身の丈経営」があるが、身の丈以上の報告に疑念すら抱かなかった私の責任は重い。

 経営者の至上命題は、「何があっても会社を倒産させない」。その気構えを常に持ち、必要な知を結集させて、全社員が同じ方向を向いているかを、経営者は絶えずチェックしなければならない。成功している時ほどおごりが出て、大事なものが見えない。眼鏡が曇る。絶頂期に自分を戒めることは難しい。でも、それが会社の命取りになる。これが、ヤオハン倒産で私が身をもって得た教訓であった。