ホンダは4月1日付で三部敏宏専務が社長に昇格する人事を発表した。現体制では生産能力の削減や研究所の組織再編など、過去の清算と将来の足場づくりを黙々とこなしてきた。「攻め」に転ずる準備は整ったが、四輪事業の稼ぐ力は低迷が続いている。新体制で改革の果実を刈り取れるか。

4月にホンダ社長に就任する三部敏宏氏(左)と退任する八郷隆弘氏(右)

 「やり残したことはありません」──。2月19日、社長交代を発表した記者会見で、ホンダの八郷隆弘社長には後悔する様子はみじんも感じられなかった。4月に社長に就く三部敏宏専務は本田技術研究所の社長を兼務し、「大本命」とされていた人物。八郷社長は研究所社長を経験しない初のホンダ社長となったが、6年ぶりの「大政奉還」となった形だ。

 2015年6月に就任した八郷社長が最優先課題として取り組んできたのは、低迷する四輪事業の立て直しだった。バトンを渡された15年3月期の四輪販売台数は437万台、営業利益率は2.9%。伊東孝紳・前社長の体制下で世界販売600万台の目標を掲げ生産能力を急拡大させていたが、販売台数が追い付かず収益力が低下していた。

 規模を追い求める方針を撤回し、埼玉製作所の狭山工場や英国のスウィンドン工場を閉鎖するなど生産能力を削減。増えすぎた派生車や地域専用モデルを集約し、量産車の開発や部品の共有化を進める開発体制「ホンダ アーキテクチャー」も導入した。

 子会社である本田技術研究所の改革にも着手した。ホンダが60年以上にわたり開発部門を別会社化する独自のスタイルを続けてきたのは、販売や利益を気にせず開発することで、独創性や「ホンダらしさ」の源泉になると信じてきたから。一方、モデル数の増加や開発効率低下の原因ともなり「金食い虫」と呼ぶ声も上がっていた。八郷社長は20年4月に研究所の四輪部門を切り離し、ホンダ本体に統合させた。DNAとも呼べる不可侵領域にメスを入れ開発体制の効率化を図った。

「汚れ役」に徹した八郷社長

 ホンダの歴史は激しい浮き沈みの歴史だ。歴代社長を振り返れば、大ヒット車種を打ち出す、フォーミュラ・ワン(F1)での圧倒的勝利など、それぞれ輝かしい功績がある。

 1990年に就任した4代目社長の川本信彦体制も当初はバブル崩壊や円高に苦しめられたが、開発・生産の改革を通じて「オデッセイ」や「CR-V」などのヒット車種を生み出し、8年の長期政権の後期には勢いを取り戻し、バトンをつないだ。

 一方、八郷社長は過去の清算に徹してきた。「リーダーシップがなく経営の方向性が見えない」(有力OB)と厳しい声が寄せられることもあった。ただ、系列部品メーカーの再編・統合やF1からの撤退を決めるなど、「汚れ役」を自ら引き受けてきたようにも見える。

続きを読む 2/2 四輪事業の利益率は0.8%
日経ビジネス2021年3月1日号 14~15ページより目次

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