三菱自動車で長年トップの座にあった益子修・前会長が8月27日に71歳で死去した。益子氏が三菱自を率いた15年は自動車産業の激動の時代。業績も浮沈を繰り返した。置き土産となった日産自動車・仏ルノーとの3社連合の行く末も定かではない。

8月27日、健康上の理由で8月7日に会長を退任したばかりだった三菱自動車の益子修氏が心不全で亡くなった。
「あのままいたら副社長以上は間違いなかった」(三菱商事幹部)と言われた益子氏が、三菱商事の自動車事業本部長から三菱自の常務に転じたのは2004年。リコール隠しの影響で資本提携していた独ダイムラークライスラー(当時)から支援打ち切りを通告され、窮地に追い込まれていた三菱自の社長に05年に就任した。
自動車大手の実質トップ在任期間としてはスズキの鈴木修会長に次ぐ長さ。だがその15年間という長期政権は、本人が望んだものではなかった。
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