『格差の起源』
オデッド・ガロー著、柴田裕之監訳、森内薫訳
2530円(税込) NHK出版

何が人類に経済的成長をもたらしたのか、なぜ格差が生まれたのかという2つのテーマを論理的に追求し、「人的資本」の本質を突く。

 本書の目的は経済人類史2つの大きな問題を解くことにある。第1に、何がこの200年間の急激な成長をもたらしたのか。第2に、なぜ格差が生まれたのか。この大きな問いに、著者は同じロジック(=統一成長理論)を使って大きく答える。

 17世紀の思想家ホッブスは嘆じた。「人の一生は不快で野蛮で短い」──当時の平均寿命は欧州でも40歳以下だった。日が落ちれば闇しかない。読み書きもできない。人々は長い時間をかけて水を運び、毎日同じものを食べ、たまにしか身体を洗わなかった。生きることに精いっぱいで、死ぬまで生まれた場所を動かないのが普通だった。大規模な飢饉(ききん)で餓死することは、すぐそこにあるリスクだった。

 有史以来、一貫して科学や技術は進歩している。しかし、人々の生活水準は19世紀に入るまではずっと停滞していた。この不思議な現象を説明したのが経済学者のマルサスが1798年に発表した『人口論』にある「貧困の罠(わな)」の論理だった。技術革新で余剰食糧が生まれると、生活水準は向上する。すると、出生率が上がり死亡率が下がる。すなわち人口増加だ。人口増が技術革新によって生まれた余剰をやがて相殺してしまう。生活水準は元のままとなる。

 例えば、14世紀の欧州のペストの大流行で実に人口の40%が死んだ。人手不足となり、賃金は上昇し、労働条件の改善が進んだ。生活水準が上がり人口は回復した。結局賃金はペスト前の水準に戻ってしまった。

 皮肉なことに、マルサスの論文が発表されたちょうどそのころに人間社会は停滞から成長へと一気にシフトした。200年で所得は14倍、寿命は2倍になった。

 きっかけは産業革命だった。単純作業が機械に代替され、人間の仕事に技能と熟練が必要になった。人がそれまでの「労働力」から「人的資本」として見なされるようになった。熟練労働者の需要が増大した結果、親は子供に労働よりも教育を与えようとした。子供の数が少ないほうが、1人当たりへの投資は大きくなる。19世紀後半になると先進国で人口増加率と出生率は急減した。子供の死亡率の低下は、投資回収期間が長くなるということを意味する。出生率を下げて人的資本に投資する動機がさらに強まった。

 ようするに、何世紀も続いた貧困の停滞を断ち切ったのは人的資本という概念の成立と、それに伴う人口転換(=少子化)だったのである。巨視的に歴史を俯瞰(ふかん)することによって、人的資本の本質的な意味と意義を明らかにする力作だ。浅薄な「人的資本」論に飛びつく前に、本書をじっくり読んでもらいたい。

Writer
一橋ビジネススクール教授
楠木 建

1989年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。専攻は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』など。新著は『絶対悲観主義』。

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『危機の地政学』
イアン・ブレマー著、稲田誠士監訳、ユーラシア・グループほか訳
2420円(税込) 日本経済新聞出版

戦争、パンデミック、気候変動など人類が直面する危機の実態を解説するとともに、協調への道を提言する。


『手数料と物流の経済全史』
玉木俊明著
2200円(税込) 東洋経済新報社

人類の歴史において、経済的覇権を握った国家がプラットフォームとして手数料を得て、繁栄してきたことを解説する。

日経ビジネス2022年11月14日号 88ページより目次

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