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 クラウゼヴィッツの『戦争論』といえば、読んだことはなくても、名前を聞いたことはあるだろう。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という有名なテーゼを思い起こす人がいるかもしれない。この名著から受けるクラウゼヴィッツのイメージは、冷静沈着な白皙(はくせき)の青年で何事も完璧にこなす万能の人といったところではないか。理論的、哲学的で感情に流されない透明度の高い分析的、普遍的な叙述から、僕はずっとそう思ってきた。

『フラウの戦争論』
霧島兵庫著
1900円(新潮社)

戦争の本質を記録に残そうとする夫カルルと執筆を支えた妻マリー。後世に残る名著を生んだ夫婦の絆を描く。

 ところが、である。現実の等身大のクラウゼヴィッツは、世間的には、どうもダメ人間であったようだ。愛妻の誕生日は忘れるわ、義母との食事会ではドジを踏むわ、出世競争には敗れるわで、妻のマリーの心労は絶えなかったようだ。しかし、祖国プロイセンを離れて一時ロシア軍に身を置くことまでして戦争の実態を探ろうと飽くなき好奇心を抱き続け、子どものような純真さで戦争の本質に迫ろうとしたクラウゼヴィッツをマリーは丸ごと愛した。クラウゼヴィッツの死後、遺稿を整理して『戦争論』を世に問うたのは、実はマリーだったのである。フラウとは妻の意味であり、クラウゼヴィッツの戦争論は、フラウ・マリーの戦争論でもあったのだ。