2020年1月、街の異変に気付いた全日本空輸(ANA)の中国・武漢支店の空港所長。約1週間後には都市封鎖が突然決定し、ジェットコースターのような日々が始まる。武漢に乗り入れる唯一の国内航空会社だったANAには重大な任務が課せられた。
2020年1月23日、全日本空輸(ANA)の中国・武漢支店の空港所長、鶴川昌宏はいつも通り午前5時ごろに目を覚ました。その日、枕元に置いたスマートフォンが映し出したのは見慣れない文字だった。
「封城」。中国語が話せない鶴川でも、字面からただごとでない雰囲気を感じた。とはいえ、何を意味しているかまでは分からなかった。そうこうしているうちに、現地採用のスタッフから「今日は行けない」との連絡が相次ぐ。「鶴川さんも見ていると思うけど、武漢は都市封鎖されるのよ」。鶴川は事態の深刻さを理解した。
都市封鎖となれば、空港はもちろん、鉄道やバスといった公共交通機関が全て停止する。封鎖が始まるのはその日の午前10時。タイムリミットはわずか4時間後に迫っていた。
それまでにやらなければならないのは、午前に武漢を出発する成田行きの便を運航することだ。日本企業の駐在員などの帰国の足を何とか確保する、という使命だけにとどまらない。この便を運航できなければ、航空機がずっと武漢に留め置かれたままになる可能性がある。前日や前々日に武漢に到着した便に乗務し、現地に待機していたパイロットや客室乗務員を日本に帰す必要もある。
出発業務を終えた時間には都市封鎖が始まり、帰宅手段がなくなるとみて現地スタッフたちは「出勤できない」と鶴川に連絡してきた。だが、スタッフの力がなければ成田行きの運航はまず無理だ。「何とか帰る手段は確保するから空港に来てくれ」。鶴川は複数のスタッフに電話で説いて回り、業務に必要な人員を確保する。
「4時間後には都市封鎖が始まる。急いで空港に向かって日本に帰ってくれ」。前日のフライトに乗務し、翌日の成田行きの便に向け英気を養っていたパイロットもたたき起こした。
空港に続々とやってきた乗客たちの顔には、都市封鎖という初めてであろう体験を前にした不安の表情が浮かんでいた。チェックインや乗客の誘導を着々とこなしていく鶴川や現地スタッフたち。その努力のかいもあって、成田行きの航空機は都市封鎖が始まる直前に武漢空港を飛び立っていった。
ANAは同日の夕刻に成田を出発するはずだった武漢便、翌24日の成田─武漢の往復便の運休を急きょ決めた。そして24日には、武漢線の1月いっぱいの欠航が決まる。
春節の観光ムードが霧散
それからの展開はジェットコースターに乗っているかのようだった。
1月中旬までは、謎の疫病は武漢市内、そして海外でのみ発生していると現地で報道されていた。下旬に入ると、北京や上海といった国内の大都市でも感染例が次々に報告されるようになる。武漢が都市封鎖された翌日には国内の団体旅行が禁止となる。さらに27日には海外への団体旅行も禁止された。24日に春節(旧正月)休暇が始まって中国では人々の大移動が繰り広げられるはずだったが、観光ムードは一気に霧散する。
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