世界が新型コロナウイルスによるパンデミックに襲われてからまもなく3年がたつ。中国・武漢に就航していた全日本空輸(ANA)は、真っ先にコロナ禍に巻き込まれた一社だった。ANAグループのコロナ禍での苦闘を描いた新刊から、始まりの日々を振り返る。(本文敬称略)

 「いったいどうなっているんだ」

 2020年1月15日、太陽もまだ昇りきらぬ早朝。いつも通り出勤のため家を出た全日本空輸(ANA)の中国・武漢支店の空港所長、鶴川昌宏は普段目にしていた街の光景との違いに戸惑いを隠せなかった。

 空港に向かうための地下鉄やバスといった公共交通機関の駅・停留所などには、体温計を持った現地当局のスタッフが待ち構えている。空港では「38度以上の熱がある人は空港に入れない」とのアナウンスが響いていた──。

16年から成田~武漢線を運航

 1989年に新東京空港事業(現・ANA成田エアポートサービス)に入社した鶴川は、輸出貨物の取り扱いや飛行機の誘導、手荷物や貨物の機内への搭載など、航空産業の「裏方」の業務を長年、成田空港を舞台に経験してきた。転機が訪れたのは2016年。成田空港のオペレーション全体を統括する部署に異動した鶴川は一念発起し、「運航支援者」の資格取得を目指そうと決めた。

 その頃ANAホールディングス(HD)では、国際線就航都市の広がりに合わせ、中核事業会社のANAだけでなく、グループ会社の社員にも海外駐在のチャンスが舞い込む機会が増えていた。海外空港には「空港所長」と呼ばれる、運航支援業務を担うポストがある。「運航支援者を目指すなら、空港所長として経験を積んでみてはどうか」。そんな上司の提案で、鶴川は19年4月、中国内陸部の武漢に赴任することになった。

 中国路線に注力してきたANAにとって、1000万人都市である武漢は中国11番目の就航地。16年から成田~武漢線を運航してきた。自動車産業の集積地として知られ、日系メーカーも多く進出している。日本人駐在員は600人強でさほど多くはないものの、出張需要は根強い。

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