中川家のファミリ―ビジネスだった中川政七商店の社長職を信頼する社員に託した。会長に就任して経営の第一線から離れた中川政七氏は、工芸界の活性化に全力投球。そんな矢先、コロナ禍が直撃。会社存続の危機をバネにさらに強い組織へと成長した。

2018年に経営を千石あや社長(右)に引き継いだ。中川氏は会長に就任して工芸界の活性化に専念した
2018年に経営を千石あや社長(右)に引き継いだ。中川氏は会長に就任して工芸界の活性化に専念した

 コンサルティング事業も軌道に乗り、2010年代は業績の拡大が続きました。経営が安定してきたため、18年に社長の座を社員に引き継ぎました。後継者に選んだのは経営幹部の千石あや氏。当社は中川家のファミリービジネスのため、創業から13代目の私まで、親族以外が社長を務めたことはありませんでした。

 千石氏を社長に選んだ理由は、バランス感覚とコミュニケーション能力、そして人望の厚さです。彼女は社内の様々な部門を経験しており、組織を俯瞰(ふかん)できました。私はかねがね「次期社長は中川家以外から選ぶ」と周囲に話してきました。千石氏の社長就任前に父は亡くなりましたが、生きていたら「好きにしろ」と言ってくれたに違いありません。

 社長交代には「会社を次のステージに進める」という目的がありました。私が先頭に立って会社の改革を進めてきたため、戦略策定など重要な業務が私に集中していた。決断が速い半面、中核となる人材が育ちにくくなっていたのです。社員のレベルアップなくして会社の成長は描けない。この機に「トップダウン型」の経営から「チームワーク型」に切り替える狙いがありました。

工芸界の活性化に専念

 千石社長の就任を機に私は会長に就任しました。会社の経営は社員に任せ、工芸界全体の活性化に集中したのです。これまでもコンサルティング事業を通じて、業界を盛り上げる努力は継続してきましたが、工芸品の産地出荷額は落ち込みに歯止めがかかっていませんでした。1980年代のピーク時には約5400億円あった市場規模は、最近では6分の1の約900億円まで減少しています。

 「何とかして工芸界全体の衰退を止めなければ」という使命感に駆られました。

 私は2017年に「日本工芸産地協会」を立ち上げていました。協会の目標は工芸品の産地を元気づけること。地域の「一番星」企業が集まり、産地の活性化を目指すことになりました。「産業観光」によって、ものづくりの現場を体験し、産地の食や文化に触れる旅を通じて、より多くの人に工芸の世界を知ってもらう。そのためには製造工程を産地全体で統合して効率化を図る「工芸の産業革命」が必要だと説いて回りました。