事業の柱だった卸売りは取引先の百貨店に見下されることが多く、古い商習慣への憤りを感じた。自社で製造から小売りまで一気通貫するビジネスモデルを画策したが、父は息子の挑戦に大反対。粘りに粘って許しを得たものの、無知のまま飛び込んだ小売りの厳しさに、何度もくじけかけた。

中川政七(なかがわ・まさしち)氏
中川政七(なかがわ・まさしち)氏
1974年奈良市生まれ。京都大学卒業後、富士通を経て、江戸時代創業の家業である中川政七商店に入社。工芸分野の卸主体だった事業をSPA(製造小売り)に転換。2008年、13代社長に就任。18年から会長を務める。(写真=宮田 昌彦)

 中川政七商店に入ったころ、事業の大半は卸でした。売り先は百貨店が中心。ただ、当時の取引には不条理なことがたくさんありました。多くの百貨店から「下請け」扱いされていたのです。

 アポイントを取ってある百貨店に訪問したときのことです。指定の日時にうかがったのに、担当者は「忙しい」と言ったきり顔すら向けてくれませんでした。別の百貨店の担当者からは無理難題を押しつけられました。「このコストでやってほしい」と言われ、あまりの厳しさに断ると、「ここをどこだと思っているんだ!」と怒鳴られました。その後、取引も縮小されたのです。

 こんな人を見下すような商習慣は間違っている。そう考え、私は意味のない営業をやめました。百貨店へは毎週のように担当者のご機嫌をうかがう「担当営業」が一般的でしたが、時間もコストもかかる。なら必要ないと考えたのです。「なぜ来ないのか」と不満を漏らす担当者もいましたが、自分の考えを貫きました。その意地を通すために、中川政七商店の商品が置かれた百貨店内の売り場は、他の売り場の平均を常に上回るように商品力を磨き続けました。

 入ってしばらくは取引先の商習慣以外にも頭の痛い問題がありました。会社に売上高の半分を占めるほどの借入金が残っていたのです。父の計画に従って返済した場合、何十年も借金のために働くことになる。

 「これまでの仕事のあり方を見直して、根本的に会社を変えなければならない」。そう考えました。その答えが「ブランディング」です。「ソニー製品が好きだった」と前回お話ししましたが、「なぜソニーが好きなのか?」を改めて熟考したのです。気づいたのがブランド価値の高さです。ブランドのおかげで商品は最初から「ゲタを履いている状態」にあると気づきました。同じことを中川政七商店でできないかと考えました。

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