「ダメだ」と私を拒絶した父

 そんなころ、父がショールーム的な役割をする店舗を東京・恵比寿に出店すると知りました。転職先を探すのに疲れていた私は「家業に入るのも一つの方法だ」と安易に考えるようになっていました。工芸の世界に入ってやりたいことがあったわけではありません。家業ならば入れるし、社長の息子ならばすぐ活躍できるに違いない。そんな甘えた考えで「家業への転職」を望んだのです。

 さっそく父に「中川政七商店に入りたい」と伝えました。「ダメだ」。父はあっさり断りました。「長男が家業を継ぐのだから喜ぶ」と思っていた私は驚きました。なぜ断るのか。父に尋ねました。父は「富士通の看板で仕事ができていたと分かっているのか。そもそも富士通の営業利益がいくらか知っているか」とまくし立てました。答えられずにいると「やはり、何も分かっていない!」と強い調子で叱られました。

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この記事はシリーズ「中川政七商店・中川政七会長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。