1987年、JR九州の発足後から、事業多角化に向けたテコ入れが進む現場に次々と挑んだ。船舶事業部の新航路開設では、労使協議での経験を生かして国内外のタフな相手と交渉。8億円の赤字を抱えていた外食事業の立て直しでは、現場で徹底したコスト意識を身に付けた。

唐池恒二[からいけ・こうじ]氏 JR九州相談役
唐池恒二[からいけ・こうじ]氏 JR九州相談役
1953年大阪府生まれ。77年京都大学法学部を卒業後、日本国有鉄道(国鉄)入社。87年の国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)入社。「ゆふいんの森」などの観光列車の運行、福岡~韓国・釜山間の高速船「ビートル」の開航、外食事業の立て直しに尽力。2009年から社長、14年から会長を務める。22年4月に相談役就任。(写真=林田 大輔)

 1987年、新たに発足したJR九州に入社後、営業本部販売課の副長として、博多駅と大分の由布院駅および別府駅を結ぶ特急列車「ゆふいんの森」の企画・開発などに奔走していました。当時のJR九州は、年間の売上高が約1300億円、営業赤字が約300億円と悲惨な状況。赤字脱却のため、新規事業を開拓して鉄道事業を補完しようと動き出していたのです。その切り札が、船舶事業でした。

船舶事業時代の唐池氏。博多~韓国・釜山間の国際航路開設などに尽力した
船舶事業時代の唐池氏。博多~韓国・釜山間の国際航路開設などに尽力した

 ゆふいんの森が運行を開始した、89年3月11日、船舶事業準備室に異動になりました。出発する瞬間を見届けることはかなわず残念でしたが、ゼロからの立ち上げはやりがいがあると気持ちを切り替えました。

 船舶事業は準備室ができて約1年後に博多~長崎間に国内航路が就航。91年には博多~韓国・釜山間に国際航路が開設され、JR九州の事業多角化のはしりとなりました。

 船舶事業で人材募集すると約50人の応募があり、11人を採用しました。JR九州の社員は船については素人でしたから、JR四国が運航する香川・高松駅と岡山・宇野駅を結ぶ宇高連絡船の船長や機関長に来てもらって準備を進めました。

自前で船員を育成

 宇高連絡船元船長で上司になった大嶋良三さんの言葉を今も覚えています。「唐池君、自前で船員を養成しなければいけないよ」と助言をいただきました。船の操縦には難しい国家資格が必要です。船員を他社から借りようと考えていた私にとって「長期で捉えなければ事業は成功しない」と語る大嶋さんの視点は、思いがけないものでした。

 JR九州から募った11人は全員試験に合格。大嶋さんの言葉通り、船舶事業を支える存在に成長しました。

 船舶事業には多くのハードルがありました。韓国側から共同事業の許認可をもらうことや、地元の漁業協同組合から事業内容に理解を得ることなどです。ここで若い頃に組合との交渉で学んだ「約束を守る、誠意を尽くす」という経験が生きました。

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