1987年に発足したJR九州。国鉄分割民営化は九州での1万人以上の人員削減も伴った。組織の都合と社員の事情との間に挟まれる人事課長としてつらい日々を過ごした。九州の役所や企業を訪問して頭を下げ、地元での働き口を探して回った。

国鉄入社から半年後の唐池氏(前列左端)
国鉄入社から半年後の唐池氏(前列左端)

 日本国有鉄道(国鉄)に入社したのは1977年。当時の国鉄はひどい状態でした。赤字が雪だるま式に増えるばかりでなく、職場の規律は大きく乱れ、労使関係も悪化。鉄道の事故も多く発生していました。

 国鉄としては、赤字を少しでも減らすために合理化を進めなければなりません。ただ、そのためには労働組合側の理解が必要でした。

 今も忘れない、あれは入社2年目のことでした。営業部総務課にいた私は駅関係要員の合理化を進める係を命じられ、貨物事業の合理化に関する労働組合との交渉の場に加わることになりました。

 場所は東京駅地下にある薄暗い会議室。出席する組合員たちは全員たばこを吸っていて、部屋の中はたばこの煙が充満していました。

 不穏な空気で始まった交渉の途中、ある組合員がこうまくし立てました。「この貨物ヤード(操車場)は、これまで5チームで連携していた。それなのになぜ3チームに減らすんだ」。その組合員は、真向かいの机に座る私をにらみつけてきます。私は「勤務ダイヤをうまく変えれば5チームもいらなくなります」と答えました。

同期との境遇の違いを嘆く

 その返答だけで納得する様子はありません。国鉄側の考えを理解してもらうためには、新しいダイヤによってどのように仕事が変わるのかを詳細に説明する必要があると思いました。「新しいダイヤでは、作業が終わったら別の場所に移ることになります。数百メートル離れていますが、それほど遠くありません。その間、景色でも見ながらゆっくり歩いてください」と続けました。

 そう言った途端、怒号が上がりました。「おい! 景色を見ろとは何だ」。私が言い過ぎた部分について、組合員が容赦なく突っ込んできました。

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この記事はシリーズ「JR九州・唐池恒二氏の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。