米国で目にしたライドシェアサービスの萌芽。タクシー業界の未来に大きな不安を抱いた。そのうちに見えてきたのは、ライドシェアが働き手に過度な競争を強いている様子だった。国内への導入の議論では反対の立場を表明。「守旧派」のレッテルを貼られても信念を貫いた。
![川鍋一朗 [かわなべ・いちろう]氏](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00157/032200004/p1.jpg?__scale=w:500,h:375&_sh=02a05906d0)
「タクシーという存在が根底から覆されるかもしれない」。あまりの衝撃の大きさで冷や汗がにじんできました。2013年1月、米サンフランシスコでのことです。
この前年に米国で始まったのが、一般の人が自家用車に有償で人を乗せる「ライドシェア」。日本交通はそれに先立つ11年に国内初のタクシー配車アプリをスタートしていました。「どうやらライドシェアというサービスがあるらしい」と聞きつけて、視察に出かけたのです。
さっそく空港で使ってみると、確かに一般の人の車がやって来ました。タクシーを呼び出す窓口だった当社のアプリと違い、ライドシェアはIT(情報技術)によって人と人をダイナミックに結び付けていた。ITが将来のタクシー業界に与える影響を想像して震撼(しんかん)しました。
この視察では、既に幾つもあったライドシェアサービスを全部試してみました。まだ珍しい存在だったせいか、運転する人も楽しそうでした。「高校の歴史の教員だが、週末だけライドシェアで運転している」と話す運転手もいました。その頃はほとんどの運転手が「パートタイムで働いてちょっとした小遣いを稼ぐ」といった感覚だったのでしょう。
見えてきたライドシェアの課題
衝撃を受けた私は、その後も半年に1回ほどのペースで米国に行き、ライドシェアの定点観測を続けました。そのうちに気付いたのが、運転手の表情がだんだん険しくなってきたことです。あるときに乗った車の運転手は「会社を辞めて仕事をライドシェア1本にしたが、ケガをしたときに1カ月ほど収入がゼロになってしまった。それを取り返そうと必死にやっている」と話していました。
自由で快適な働き方に見えるライドシェアですが、何の保証もないという課題をはらんでいることが見えてきました。しかも、ライドシェアの運転手がどんどん増えた結果、1人当たりの売上高が減少。ライドシェア同士の値下げ競争も起きており、運転手が生活の見通しを立てにくくなっていました。「1日15~16時間働かなければ家賃を払えない」とこぼす人もいました。
ライドシェアは消費者として体験するには良くても、働き手にとっては全然良くないサービスである──。私はそう考えるようになりました。
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