債務の早期返済を求める銀行との交渉は長く、苦しいものだった。経営再建のめどがついた段階で父に代わって社長に就任。その直後に父が他界した。「徳を残そう」。再建の恩人が発した言葉がその後の経営の道しるべとなった。
![川鍋一朗[かわなべ・いちろう]](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00157/031400003/pf.jpg?__scale=w:500,h:375&_sh=0c00c102b0)
1900億円を早く返済させたいメインバンクとの会議は毎週開かれました。彼らが繰り返し要求してきたのは、日本交通が保有する不動産などを即座に売却することです。しかし、その要求通りにはできません。彼らは返済さえ終わればいいのでしょうが、我々はその後も事業を続けていかなければなりません。売却はタイミングが重要です。タイミングを誤って貴重な資産を二束三文で売るわけにはいきませんでした。
我々の債務は確かに大きかったのですが、元の計画に対して返済が滞ったわけではありません。銀行にはそれを主張し続けました。とはいえ、返済が進まなければ売却や解体を求められかねない立場でもあるので、全ての要請をはねつけるわけにもいきません。企業再建の第一人者である弁護士の清水直先生と二人三脚で、銀行の要請を100としたら60ぐらいを受け入れることを繰り返していきました。
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