中古車買い取りの「ガリバー」を全国に展開し、東証1部上場企業へ育てた。社長から退く際に選んだのは2人の息子が社長に就く体制。決断の裏には葛藤もあった。70代でユーラシア大陸の走破に挑戦。幾つになっても無我夢中で走り続ける。

<span class="fontBold">羽鳥兼市[はとり・けんいち]氏</span><br />1940年福島県生まれ。59年に父が経営する羽鳥自動車工業に入社。66年に重機レンタルなどを手がける羽鳥総業を設立するも76年に倒産。同年、中古車販売の東京マイカー販売を立ち上げる。94年に買い取り専門のガリバーインターナショナル(現IDOM)を設立。2008年には息子2人を社長とする体制に移行。16年に名誉会長に就任。(写真=的野 弘路)
羽鳥兼市[はとり・けんいち]氏
1940年福島県生まれ。59年に父が経営する羽鳥自動車工業に入社。66年に重機レンタルなどを手がける羽鳥総業を設立するも76年に倒産。同年、中古車販売の東京マイカー販売を立ち上げる。94年に買い取り専門のガリバーインターナショナル(現IDOM)を設立。2008年には息子2人を社長とする体制に移行。16年に名誉会長に就任。(写真=的野 弘路)

 自動車の流通革命を目指して中古車の買い取り専門店「ガリバー」を1994年に立ち上げた私は、500店舗を目指して全国を飛び回りました。

 ただし、多店舗化ばかりに注力していては肝心の中古車流通の新しいビジネスモデル構築がおろそかになります。そんな折、コンサルティング会社「船井総合研究所」の創業者である故・舩井幸雄氏がガリバーのビジネスモデルに関心を寄せてくれました。流通革命のビジョンを詳しく話すと大いに共感して、その後の講演などでガリバーを紹介してくれました。それをきっかけに、フランチャイズチェーン(FC)支援事業を手掛けていたベンチャー・リンクが店舗開発の支援に名乗り出てくれました。いろいろな人に助けられての全国展開でしたね。

 店舗拡大と並行して、本社一括査定を実現しました。店舗や担当者による買い取り価格のぶれをなくすためです。さらに、車種や年式、走行距離、傷の有無などを参考に、持ち込まれた中古車をコンピューターで自動査定するシステムも構築しました。この2つの仕組みにより、全国のどの店舗でもお客様が適正価格でクルマを売却できるようになりました。

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この記事はシリーズ「IDOM・羽鳥兼市名誉会長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。