会社が倒産して3億円もの借金を負った。再起を誓って立ち上げたのは中古車販売会社。ところが、経営者として成功していた過去のプライドが邪魔して、営業で頭を下げられなかった。裸一貫でやり直す覚悟が決まったのは、来店したチンピラ風の男が発した言葉のおかげだった。

<span class="fontBold">羽鳥兼市[はとり・けんいち]氏</span><br>1940年福島県生まれ。59年に父が経営する羽鳥自動車工業に入社。66年に重機レンタルなどを手がける羽鳥総業を設立するも76年に倒産。同年、中古車販売の東京マイカー販売を立ち上げる。94年に買い取り専門のガリバーインターナショナル(現IDOM)を設立。2008年には息子2人を社長とする体制に移行。16年に名誉会長に就任。(写真=的野 弘路)
羽鳥兼市[はとり・けんいち]氏
1940年福島県生まれ。59年に父が経営する羽鳥自動車工業に入社。66年に重機レンタルなどを手がける羽鳥総業を設立するも76年に倒産。同年、中古車販売の東京マイカー販売を立ち上げる。94年に買い取り専門のガリバーインターナショナル(現IDOM)を設立。2008年には息子2人を社長とする体制に移行。16年に名誉会長に就任。(写真=的野 弘路)

 同業者にだまされて3億円の借金を背負った1976年。36歳だった私は「3億円を5年で返済するゲーム」と目標を定め、福島県須賀川市に中古車販売会社の「東京マイカー販売」を設立しました。

 当初は「東北最大の重機会社を経営していた」というプライドが私の邪魔をしていました。頭を下げる営業ができず、あまり売れないまま悶々(もんもん)としていた。そんなとき、ある人物が来店したのです。ガラの悪いチンピラ風の男でした。私を羽鳥と知ってか知らずか「羽鳥の一家は借金をつくって夜逃げしたらしいな!」と大声で言い放ちました。

 私は逃げてなんかいない。ここにいる──。

 悔しさで全身に電撃が走りました。そんな思いをして初めて、「絶対に復活してやる」と腹が据わったのです。彼がプライドを粉々にしてくれなければ、裸一貫になる覚悟はできなかったでしょう。「私に復活のきっかけを与えてくれた“神様の使い”だったのだ」と今では思っています。

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この記事はシリーズ「IDOM・羽鳥兼市名誉会長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。