「そんならなおさら……もう御歳57なんですから、そろそろお仕事から足を洗われても罰は当たらんとじゃなかとでしょうか」

 清子はいつのまにか、しゃべり方や物腰まで男勝りな母に似てきた気がする。

 「清子、お茶を入れてきてちょうだい」

 富樹子があわてて娘を台所に追いやった。今度は得能の血圧が上がってはたまらない。

 数日後、病み上がりで出勤した得能は局長室に次席の一川研三を呼んだ。

 「お身体の具合はもうよろしいのでしょうか」

 「ああ、心配するな」

 「栄養をよく摂られてご無理をなさらぬよう。滋養には肉や卵が良いと聞きます」

 (こいつも清子と同じことを言いおって)

 一川の心配そうな表情を見ると、急に老け込んだ気がした。たしかに体力にもまして気力が続かなくなっている。

 「わしもこうやって不意に倒れたりするようになってきた。局長の仕事もそういつまでも続けていけぬかもしれぬと思い始めておる」

 「どうかそんなことをおっしゃらずに」

 初めて聞く得能の弱音に、一川は耳を疑った。ここで印刷局を手放されても、まだ自分たちでやっていける自信はない。

 「いや、自分の身体のことはようわかっとる。ついてはだな、わしがいるうちに片をつける案件を絞り込んで、そこに残された精力を注ぎ込みたいと思うのだ」

 得能の顔色に心なしか影が差しているが、眼光だけは鋭い。

 「それは例の工場積立金のことでございますね」

 「そうだ」

 「我々の力不足のために局長閣下の御宸襟(しんきん)を悩ませることとなり、申し訳なくて言葉もございません」

 西南戦争の戦時体制による積極財政がインフレーションを招き、緊縮財政に舵を切った政府が打ち出した官業整理の方針。これを機に、得能は印刷局を国の財政状況に振り回されない独立自営の事業体とする腹を固め、改革案を大蔵本省に上申していた。