前回までのあらすじ

苦労の末に抄紙機の自作に成功したのもつかの間、印刷局の工場が民間払下げの対象になるかもしれないという新たな問題が持ち上がった。何としてもそれを防ごうと、得能良介は印刷局を独立自営の事業体とするための改革を目論む。

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 「いよいよ工場払下げが現実の制度として動き出すことになってしまいました」

 「ついにきたか」

 得能は一川が持参した布告書に目を通し、情勢分析に耳を傾ける。

「払下げの意義もわからんわけではないが、我々のように国家の秘密技術を扱う機関まで対象にしているわけではあるまい。どこかに例外規定があるのではないか」

 「布告の文言を読む限りでは、印刷局も明示的に対象外とはされておりません」

 「まことか。さすがに紙幣製造機関を民間に売却するとは考えにくいが」

 「最近は過激な意見も飛び交っていて油断は禁物です。我々の目指す制度の導入にとって強い逆風となるものと思われます」

 今さらながら自分の見立てが甘かったことに得能は気づかされていた。

 伊藤博文と大隈重信が共同で立案した緊縮財政の基本方針「財政更改の議」を実行に移すための関連規則がついに太政官布告として公布されたのである。「工場払下概則」。払下げ条件や競争入札の手続きを具体的に定めている。

 布告の制定を受けて、一川は得能の官舎の病床にいた。印刷局の存亡にかかわる危機が切迫している。得能は熱海の温泉で気力体力の回復に努めながら次 の一手を模索するつもりだったが、それどころではない。

 「もたもたしていたのでは、何もものを言えなくなる。おい、もう一度建議書を書くぞ。すぐに提出だ」

 「承知いたしました」

 「それでだな、いろいろ考えてみたんだが、政府からの風当たりがこれだけ厳しいとなると、自らの身を切る改革案も併せて提示して、理解を求めてはどうかと思うのだ」

 「少なくとも政府の経費削減方針には従う姿を示すということですね」

 一川が言った「我々の目指す制度」とは、工場の儲けである益金の一定額は従来通り国に納付するが、その額を超えて益金をあげた場合には、設備投資資金として工場に積み立てを許す制度のことである。本省に建議したが検討の俎上にのぼった気配はない。得能が考えた身を切る改革案とは──。

 毎年、国から予算措置される定額金から支出してきた本局の経費を、すべて工場収入で賄う。工場を管理する本局の経費も含めて、印刷局の事業収支が独り立ちすることを目指す──。

 本局の官吏も一丸となって、工場の売り上げ増加や業務の効率化に取り組んでいかなければ、印刷局は事業体として成り立たなくなる。