前回までのあらすじ

新たな政府紙幣の企画は固まったが、用紙は手漉き頼みで、量産化のメドが立たない。業を煮やした得能は、明治天皇の行幸までに国産抄紙機を完成させよと部下に命じる。無理を重ねて作り上げたものの、満足に動かない状態のまま行幸当日を迎えてしまった。

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 国産第一号抄紙機が置かれた部屋の入口脇では、組立課長の岡田が陛下のお成りを待っていた。

 「岡田君、大丈夫だ。機械は順調に動いている。安心したまえ」

 緊張しきって直立不動の岡田に機械部長の千田が声を掛ける。生真面目な岡田はこの2日間一睡もできていなかった。

 「部長はそうおっしゃいますが、止まったら、紙が切れたら、どうするんですか」

 予期せぬ動作停止や紙の断裂は、頻度こそ下がっているが、なお発生していた。2日前にも突然動かなくなって、復旧に3時間をかけた。

 「あとは運を天に任そうではないか」

 千田は吹っ切れたのか、さばさばした表情で岡田の肩に手を置いた。

 (そうだ、部長の言う通りだ。やれるだけのことはやったのだ)

 岡田は不安を消そうと自らに言い聞かせる。機械部にとっては大切に産み育てた一粒種であり、一緒に戦い抜いてきた同志である。自分が同志を信じてやらないでどうする。

 開発現場総出で抄紙機を所有している製紙会社に赴いた。図取りをさせてもらい設計図を起こした。構造部材や部品をひとつずつ製造・調達し組み立てていった。ようやく機械の癖もわかってきた──。

 それでも、その日の機嫌によって、思わぬ不具合を起こすから気が抜けない。岡田は心の中で同志に呼びかける。

 (頼んだぞ。止まるなよ。耐えてくれ)

 機械が鈍い音を立てている。その時、廊下を曲がってこちらに歩いてくる天皇の一行が目に入った。深々と頭を垂れる千田と岡田の前を通り過ぎ、抄紙機の前に到着した。

 幅54吋(インチ)の円網の入った紙料槽、脱水のためのプレスロールが2組、乾燥胴が下段に5本と上段に2本、艶出し表面加工のロール、出来上がった紙の巻き取り機──。

 原料投入から機械で一気に製品を完成させていく一連の装置群である。天皇は、どろどろの紙料が光沢を持った紙に変わっていく過程を興味深げに見守っている。

 得能が天皇に説明をしているようだが、機械が発する音にさえぎられて声は聞き取れない。第2プレス用架構の上部には、業務拡大に伴い昨年末に「紙幣局抄紙部」から改称された「印刷局抄紙部」という目新しい銘板がはめ込まれている。銘板の中央の金色の菊花紋章を岡田は見るともなく見ている。