西南戦争で西郷隆盛が自決した翌年、大久保利通は暴漢の襲撃にたおれた。郷里の盟友2人の相次ぐ死に打ちひしがれる間もなく、得能良介は新たな政府紙幣づくりに着手する。肖像を描く神功皇后とはどのような人物なのか。キヨッソーネの探求が始まった。
「神功皇后の諱(いみな)は『気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)』で、父親は開化天皇の曽孫(ひまご)である『気長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)』、母親は新羅の王子『天之日矛(あめのひぼこ)』の子孫『葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)』です。皇后は幼い頃から聡明で叡知にたけ、容貌は美しかったと日本書紀にはあります。『日本武尊(やまとたけるのみこと)』の第2子である仲哀天皇の皇后となり、謀反を起こした熊襲(くまそ)を征伐しようとする天皇についていきます」
──神功皇后の容貌を描くためのよりどころにする材料が欲しい。
キヨッソーネのたっての願いを叶えようと、通訳の成瀬は飯田武郷(たけさと)という国学者に話を聞きにやってきた。場所は太政官修史館。政府の歴史編纂(へんさん)事業を行っている部局である。
「その征伐の最中に仲哀天皇に神のお告げが下るのです」
「実際に神様の声が聞こえてきたのですか」
「皇后が神がかりになって言葉を発したと、日本書紀にはあります。服属させるべきは荒れ果てた熊襲ではなく、海の向こうにある韓半島の新羅である。そこは財宝のある国。私をよく祭ったならば、刃を血で汚さないで、自然に服従するだろう、という内容でした。仲哀天皇は疑いを抱きます。遠くを見たが、海だけあって国はなかった、と」
「天皇は神のお告げに従わなかった」
「ええ。神は皇后に神がかってこう述べました。どうして私の言葉を誹謗するのか。あなたは新羅を得られないだろう。皇后が初めてご懐妊になった。その子が得ることになるだろう、と。天皇はなおも信じられず熊襲を攻めましたが、征服できなかった。天皇は筑紫の香椎で急病になり亡くなります。日本書紀には、神のお言葉を採用されなかったからではないかとうたがわれる、とあります。皇后は神の言葉を得て熊襲を服属させます。神の教えに霊験のあることを知った皇后は天つ神と国つ神をお祭りし、神の供御(くご)のための田をたがやします。そして、男の姿に仮装して新羅征伐に向かうことを群臣にはかります。このときの『事が成就すれば群臣がともに功があったから。事が成就しなければ私ひとりの罪となろう、と覚悟している』という皇后の言葉はよく知られています」
男の姿で武具をまとった神功皇后像は、成瀬もどこかで見た覚えがある。
「皇后は臨月になっていましたが、石を腰に挟み、事を終えて帰ってきた日に生まれるように、と神に祈りました」
「ああ、ここから誰もが知っている三韓征伐物語になるのですね」
「そうですね。風の神は風をおこし、波の神は波をおこし、海の中からは大魚が浮かんできて助け、軍船は舵や櫂(かい)を使わないで韓半島に着いた、という逸話は有名ですね。すべての神様が残らず助けた軍船が海に満ちているのを見た新羅の王は、ただちに降伏し、朝貢を約束します。隣国の百済と高句麗も降伏し朝貢を約束しました」

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