国産新紙幣の仕様を決めた紙幣局長・得能良介だが、安堵する間もなく西南戦争が勃発。軍費のための紙幣増産に忙殺される中、同郷の盟友・西郷隆盛の自決を知る。明治天皇の新工場行幸という栄誉の中でも、西郷に思いをつのらせずにはいられなかった。
「行ってくるからな。母上の言うこつを聞いて、良い子にしとれよ」
「あーい父上」
「大丈夫よ、ねえ芳子」
明治11年5月14日の早朝である。
大久保利通はいつものように娘の芳子を抱き上げて頬ずりすると、妻の満寿子に託して玄関を出た。
彼を乗せた2頭立ての馬車は霞が関の自宅を出て赤坂御所へと向かった。参議兼内務卿として明治政府の実権を掌握した彼は、近代国家としての基盤固めに邁進していた。この日も午前6時から福島県令(知事に相当)山吉盛典の面会を受けた。ひとしきり国家建設の長期構想を語り聞かせてから仮皇居内での公務に出発した。
赤坂見附の御門脇を抜けて紀尾井町清水谷への坂を下り切ると、2人の男が待ち受けていた。4年前、征韓論をきっかけに岩倉具視が不平士族の襲撃を受けた赤坂喰違坂からほど近い場所である。
「何でしょう。怪しい奴らですね」
御者がそう言いながらやり過ごして馬車を進めると、別の2人が行く手に立ち塞がった。
「すみません。すぐにどかせますから」
大久保の従者が馬車を降りて、道を開けるよう命じたとき、1人が刀で馬の脚を斬りつけた。馬がいなないて倒れる。隠れていた2人が更に加わり、6人で馬車を取り囲んだ。
「暴漢どもが。何用だ」
「中の大久保に用事がある。どけ」
「馬鹿なことはやめんか」
「うるさい。邪魔をするなら斬る」
男たちに襲いかかられた従者は辛くもその場を逃れたが、御者は馬車から飛び降りたところで刺し殺された。
要人警護がついておらず、ただ1人の従者も丸腰であった。フランス流の近代警察組織の確立に尽力した大久保だが、自らの警護が物々しくなるのは嫌いで、この日は護身用の拳銃すら持ち歩いていなかった。
「無礼者。控えよ」

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