前回までのあらすじ

 明治10年1月、紙幣寮は大蔵省紙幣局と改称し、純国産の政府紙幣づくりに着手した。世界の先端を行く肖像画入りの紙幣が企画されたが、候補は神功皇后。「なぜ国家元首たる天皇を描けないのか」――。キヨッソーネは初めて、得能良介に楯突いた。

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 新しい政府紙幣に人物の肖像を用いることは決まったが、国家元首である明治天皇ではなく神功皇后が候補となった。今彫れる者はキヨッソーネしかいない。彼を納得させるにはどうすればよいのか。重苦しい沈黙が続く中、執務机に置かれている書類の束が目に入った。今回の肖像候補の議論の最中に嫌になるほど見ていた参考資料である。

 「日本人は、神功皇后の肖像を陛下に置き換えて理解する。神功皇后とはそういう存在なのだ」

 「どういうこと、ですか」

 キヨッソーネの問いかけを背にして立ち上がり、束の中から数枚の錦絵を抜き出し、応接テーブルの上に広げた。

 「陛下の御即位、大阪行幸、東京行幸といった出来事はしばしば錦絵の題材として取り上げられているが、陛下を描いた絵とは一切うたっていないのだ」

 錦絵とは多色刷りの木版画のことである。事実を客観的に描写するよりも文化や風俗を戯作的に表現し、政治的な事件を故事になぞらえ、寓意を込めて描く。

 「この長谷川貞信による御即位の図など明らかに陛下を描いておきながら『神武天皇御即位』と題されている。だが、見る人は陛下のことだとわかっているのだ。高貴な人物に対する習慣の一種であろうし、何かおとがめがあっても言い逃れる知恵でもある」

 「国王(天皇)が、神武天皇」

 「これも貞信の作品で、大阪へ行幸された際に天保山で行った軍艦親閲を『神功皇后三韓征伐御調練之図』と題しているが、日本人であれば、陛下の観閲式だとわかる。神功皇后の肖像彫刻を手がけることは名誉なことと考えるべきなのだ」

 実物の絵画をつかっての説明は、ようやくキヨッソーネの腑に落ちるものだったようだ。うつろだった目が輝き始める。

 「わかりました。国王(天皇)の肖像でないのは残念。でも、神功皇后、彫ります」

 「そうか、頼んだぞ」

 得能が安堵の表情を浮かべたのを見て、成瀬の頬も緩んだ。

 なぜ苦し紛れの説得が続いたのか──。

 キヨッソーネには明かすことのできない宮中の極秘事項が存在したからである。明治5年に行われた貨幣改鋳の時のこと。世界では古代ギリシャ以来の慣行としてコインに国王の肖像を刻んでいる。造幣局からも明治天皇の肖像の彫刻を建議したが、太政官正院ですでに不許可となっていた。

 肖像の彫刻のためには下図としてデッサン画を描かねばならないが、明治天皇に長時間同じ姿勢をお願いするわけにはいかない。写真を撮って下図を起こそうと宮内省に上申するが裁可されなかった。実は明治天皇は大の写真嫌いだった。宮中の側近たちも、神聖なる天皇の肖像が民衆によってぞんざいに扱われることを強く懸念した。紙幣局では肖像に明治天皇を用いる案は議論の最初からありえなかったのである。

 明治10年2月、紙幣局は新しい政府紙幣と国立銀行紙幣の仕様や図柄の案を固め、見本となる雛形を作成した。得能が明治7年初めに紙幣頭に着任して3年が経っていた。国立銀行の新規設立が相次いで銀行券の逼迫が心配されるため、肖像彫刻に時間を要する政府紙幣は銀行券のあとに取りかかることになった。

 新しい国立銀行紙幣が近代的紙幣の記念すべき国産第一号となり、肖像入りの政府紙幣を世に送り出せば、世界で最も進んだ紙幣を製造する米国と肩を並べることになる。得能はじめ紙幣局の職員たちの士気はいやが上にも高まっていた。