前回までのあらすじ

 従来の方針を覆し、大蔵省紙幣寮は自らの手で新しい紙幣の用紙を抄造することを決め、東京・王子に抄紙工場を完成させた。キヨッソーネらの指導で印刷技術も向上している。紙幣頭・得能良介は満を持して、新しい政府紙幣の発行を太政官正院に上申した。

前回を読むには、こちらをクリックしてください

 明治9年7月末、得能は新しい政府紙幣の発行を提案する。大隈大蔵卿の名をもって太政官正院に上申した建議書は自ら筆をとった。

 「──唯一、抄紙の面では目下のところ手漉き法に着目し、原料を国内各地から精選し、薬品配合の試験研究などを進めている段階のため十分とは言い難いが、現状七、八分は進み、遠からず剛強で精良な用紙の抄造が可能となる。

 こうした中で大手町の新工場の落成を迎え、予備札の製造に着手することになる。ここで明治通宝について熟察してみると、たしかに緻密な彩紋模様など精妙を極めているものの、欠点が3点明らかになってきた。1つは、たとえば壱円札と弐円札など寸法が同一の券種があり、しかも模様が共通で金額の文字が小さいため、壱を弐に書き換えるなどの変造の惧れがあること、2つには、用紙が機械抄きのためにインキが浸染せず、薬品によって変色や消滅の惧れがあること、3つには、用紙が裂けやすいため損札が大量に発生する惧れがあることである。

 よってこの際、このような欠点を有する明治通宝を増刷して予備札とするのではなく、製造法を大きく改めた紙幣を作るべきと考える」

 黒々と墨書された文面には紙幣国産化に向けての気魄が漲(みなぎ)っていた。

 その2週間後の紙幣寮寮頭室──。

 得能が抄紙局長の中村とキヨッソーネから業務報告を受けていたところへ、工場長の矢嶋が上気した顔で飛び込んできた。

 「出ました、上申案の裁可が……」

 「ようやく……辿(たど)り着いた、か」

 一瞬の沈黙のあと、得能が呻(うめ)くような声を洩らした。ひとり取り残されたキヨッソーネだったが、通訳の成瀬から耳打ちされると破顔し、両手を伸ばして得能に握手を求めてきた。新しい紙幣が自らの腕にかかっていると自負しているのか、立ち上がって固く固く掌を握りしめてくる。寮頭室の外ではそこかしこで気勢を上げる声が上がり始めた。

 「さっそく新しいお札の仕様や図柄の検討に入ります。閣下の御指導のもと、紙幣寮をあげてこの大事業に取り組むべく、職員全員、思いを新たにしております」

 矢嶋は直立不動で声を張り上げるうち、感極まって声が震えてきた。得能も高揚と不安が交錯して武者震いが止まらない。とはいえ、紙幣国産化はようやく緒に就いたばかりである。