前回までのあらすじ

 民間から買い上げる方針を180度覆し、政府直営の抄紙工場を東京・王子に建てることを決めた紙幣頭の得能良介。お雇い外国人、キヨッソーネの熱心な技術指導で職工たちの技術も向上しつつある。紙幣国産化に向けた環境がついに整った。

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 「版面の複製のほうはどうだ。クラッチュ法はうまくいきそうか」

 「大丈夫です。これをご覧ください」

 1億枚にも及ぶ地券状を印刷するには、彫刻の原版を複製した版を使う。得能からたずねられた彫刻局長の佐田が5枚の見本品を差し出した。キヨッソーネの指導を受け、部下たちが鋳造したクラッチュ版をもとに印刷したものだ。

 得能は手彫りの植物文様の部分だけで見比べようと、揃えて重ねた5枚を少しずつずらして扇状にしてみる。顔に近づけて細部の画線を1本ずつ見ていったあと、少し離れて図柄全体の印象にばらつきがないか眺めた。電気鋳造で複製した彫刻の原版による大量生産は、我が国では初めてとなる。

 「これなら地券状を1億枚印刷しても耐えられそうだな、なるほど」

 「いくら版面を正確に複製したとしても、印刷が安定していなければ均一で鮮明な出来上がりにはなりません」

 刷版局長の本原が割って入った。

 「インキの濃淡や微妙な色むらを調整するためには、ドイツ製の印刷機械を思うままに使いこなせる技量が必要です。ドンドルフ社から派遣された2名の技術者の指導で、職工たちの腕も着実に上がっています」

 現場の成長ぶりに手応えを感じているのだろう。得能は見本品をもう一度手に取って、印刷の具合も一枚一枚確かめた。

 「短期間によくここまできたものだ。あとは……用紙だな」

 王子の抄紙局が開業したのは、明治9年の春。近くの飛鳥山には桜が咲き乱れていた。

 「本日はご多忙の中、閣下に御臨席のうえ御祝辞を賜りましたこと、誠に光栄に存じます」

 開業式を終えて控え室に案内された大蔵卿の大隈重信の前には、得能以下紙幣寮の幹部が勢揃いし、深々と一礼した。大隈の隣には、大蔵大輔の松方正義、国債頭の郷純造らが、大蔵省からの来賓として控えている。

 「紙幣寮の諸兄には、抄紙工場の建設、抄紙局の開業準備とご苦労されたことと思います。近く印刷工場も完成と聞いておりますが、先んじてこの工場が稼働し始めると、得能さんも一段と忙しくご活躍されることになりますね」

 「印刷工場の建設の件では認可にあたり閣下のご口添えを賜り、かたじけなく思っております。お蔭様で本年秋には竣工を迎える運びとなっております」