前回までのあらすじ

 紙幣用紙の質が不十分だというキヨッソーネの訴えを受け入れ、得能良介は紙幣寮自ら製造することを決めた。民間から買い上げる方針を覆され、怒った抄紙会社の代表、渋沢栄一が紙幣寮に乗り込んで来たと思われたが、彼は思いもよらない提案を口にする。

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 「銀行券を発行する際の条件である金(正貨)との兌換(だかん)を、政府紙幣との兌換でかまわないことにしていただきたいのです」

 渋沢が求めてきたのは、予想だにしない国立銀行条例の改正だった。

 「いや、さすがにそれは無理でしょう。銀行券を正貨兌換とすることについては、銀行条例を制定する際さんざん議論した話です。それこそ貴殿が大蔵省時代にご苦労されて決めた条例ではありませぬか」

 得能は言下に否定した。今さらどうやって大蔵省に上申してくれというのか。

 もともと紙きれにすぎない銀行券を国家として流通させるためには、信用力の担保として金(正貨)の準備を保有し、その裏付けの範囲内で発行することがインフレ抑制などの観点から望ましい。

 だが国内に金が充分蓄積されるまでに相当な期間を要し、その間は資金循環の悪い状況が続いて経済活動の足を引っ張ってしまう──。

 国立銀行条例の制定を巡っては、伊藤博文、大隈重信、井上馨らによって激論が闘わされ、最終的な妥協案として、銀行券は発行額の3分の2まで金の準備を必要とする兌換券とすることで収まった経緯がある。それを取りまとめたのが渋沢であった。

 「たいへん苦労して決めた条例ですが、うまくいかないことが明らかになったのです。国立銀行は軒並み破綻に追い込まれかねません」

 渋沢は日本における銀行制度の創始者と言っていい。お金を融通し合って経済を発展させる「金融」という概念も、お金を行きわたらせる仲介をする「銀行」の仕組みも、渋沢が我が国に持ち込んだものである。Bankという英語に「銀行」という訳語をあてたのも渋沢だ。

 (自分が作り上げた制度の哲学をあっさり覆すとはどういうつもりだ)

 平然と言い放つ男の顔を、異国人を見るような思いで眺める。こうした変わり身の早さや実利主義に、得能はとてもついていけない。

 「各行が苦境にあることは報告を受けておりますが、もう少し穏便な救済策というのが考えられないものでしょうか」

 「我々も4行で集まりずいぶん検討しましたが、結局、政府紙幣との兌換しかないという結論に至りました。その理由を詳しくご説明させていただきます」

 渋沢の言い分は詰まるところ──銀行券の発行はもともと議論を重ねた末に、金(正貨)の準備を求めることで決まった。しかし、このところの国際的な金価格の上昇を受けて世の中になかなか出回らない。発行しても発行しても、金への兌換を求められて銀行に還流してしまう。

 「さて、困りましたのう」

 紙幣頭に着任後ほどなく銀行監督業務の重要性を痛感した得能は、自身で猛勉強して金融理論や銀行実務を学んでいた。渋沢の大胆な救済策の提案には驚かされたが、渋沢から諄々(じゅんじゅん)と説かれると、切迫した事態であることはわかる。