内務卿・大久保利通の懇願を受け、大蔵省紙幣頭の座に就いた得能良介。人任せの職場風土にがくぜんとし、改革を決意する。一方、紙幣国産化のカギとなる、独ドンドルフ社からの紙幣製造機の買い上げ交渉は暗礁に乗り上げていた。

「我々も先方の言いなりではなく、自前製造の意向は伝えてはおります。そもそもゲルマン紙幣(明治通宝)は財政難の維新政府にとって決して安い買い物ではありませんし」
製造課長の中村祐興が、ドイツからの紙幣製造設備買い上げ交渉の経過を寮頭室に報告に来た時のことである。
「海外に製造を頼っていては、戦乱やインフレなど緊急に増刷が必要な時に、最優先で対応してもらえるとも限りません」
おまけに、万全と思われた品質も、亜麻が原料のため和紙より破れやすいことが最近になって判明している。それでも強気に出られない中村の煮え切らぬ弁明など、得能は聞く耳を持たない。
「なによりだな、経済取引の大元となる紙幣を外国製に依存するというのは国家としての沽券(こけん)にかかわる話だ。おぬしらはそうは思わんのか」
得能には、中村たちが相手の言い分に乗っかって交渉しているように思えてならない。
「おっしゃる通りです。なので、昨年秋頃から本間を通じて紙幣国産化の方向性を示しつつ中古設備の購入を打診しておるのですが、これがうまくいっていないのです」
本間清雄はフランクフルト駐在の外務省書記官である。明治通宝を製造しているドンドルフ社は同地に拠点を構えている。
「ドンドルフは何と言っておるのだ」
「あろうことか、日本からゲルマン紙幣の追加発注がなければもはや会社存続が困難であり、そうなると借金返済のために機械設備は他へ売却処分せざるをえないと言い始めておるのです」
「なんだと。あいつらの経営状況は本当にそんなに苦しいのか? 我々が自前で紙幣を作るようになると、利益率の高い製品である紙幣の注文がなくなるのが困るからではないのか? そのために日本には機械設備を売却できないと無理やり言い張っているのだろう。どうだ、違うか?」
「手の内を見せないのでわかりませんが、今回はこれまでとは異なり、わざわざドンドルフからゲルマン紙幣の追加発注の打診が来ています。ドイツの統一国家成立により州ごとの紙幣が不要となり、同社の売上が激減している事情があるようです」
「そんなもん、どうせ儲(もう)けの厚い明治通宝の受注が惜しくて大袈裟(おおげさ)に言うちょるに決まっとる。だったら本間にドンドルフの工場へ出向かせて徹底的に調べさせろ。相手の言うことをいちいち真に受けて交渉する馬鹿がいるか」
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