前回までのあらすじ

 大蔵省内で渋沢栄一に暴力沙汰を起こし、出納頭の職を追われた得能良介。しかし、その能力を惜しむ声は多く、謹慎を経て司法省で働くことに。そんなある日、内務卿となり政治の実権を握った同郷の盟友・大久保利通から呼び出しを受ける。

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 「良介どんは格好も中身も昔から変わらんままですな」

 内務卿の執務室から出てきた大久保利通は、得能の前に立つと薩摩藩時代の親しい間柄に戻って相好を崩した。少し斜に構えた笑顔も昔のままで、懐かしさに触発された得能は故郷の親族やら共通の友人の近況を訊ねられるままに語る。

 「それはそうと、良介どんは司法省でも相変わらずご活躍のようで、何よりでごわすな」

 旧交を温め合う会話がひとわたり終わると、大久保は政府の最高指導者の顔に戻って切り出してきた。

 「そげんこつなか。わしは不器用な田舎侍じゃ」

 「うんにゃ、裁判制度の普及など、立派な仕事ぶりについていろいろ評判を聞きよっとばい。おいはやっぱいあん時、良介どんに仕官を勧めてよかったと思うちょりもす」

 「そうじゃろうか」

 時の権力者による褒め言葉はこそばゆい。素直に受け止めてよいのだろうか。得能は大久保が勧めてくれる紅茶を口にする。揃いのティーカップと皿は英国からの取り寄せだといい、草花の図柄が色彩豊かに絵付けされている。持ち手のついたカップも茜(あかね)色に光る液体も得能には初めてで、なじみのない風味が口中に広がった。

 3年半前、上京を渋る得能がついに翻意したのは、大久保から誘われ見学に訪れた集成館からの帰り道である。集成館とは、富国強兵・殖産興業を目標に掲げた先代薩摩藩主の島津斉彬が起こした西洋式工場群で、維新後も製鉄や武器製造をはじめ幅広く事業を展開しつつあった。

 稼働開始したばかりの最新式の紡績機械の巨大さに圧倒される得能に、こうした事業が全国に広がるよう、国家や社会の基礎を固めたいと大久保は熱く語った。「藩の発展」ではなく、「国の発展のために」と口にした言葉がひときわ新鮮に耳に響いた。それまで藩の立場からその集合体である国家というものを捉えてきた得能だが、大久保は統一された国家における統治者の側からしかものを考えていなかった。大久保から滔々(とうとう)と説かれた得能は、残り少ない人生を東京でもうひと働きする決心を固め、大蔵省の大丞(だいじょう)という幹部職への推挙を受けたのだった。

 「本日お呼び立てしたのは他でもなかです。実は、良介どんには大蔵省に戻っていただき、紙幣頭(しへいのかみ)を務めてもらえんじゃろかと考えちょりもす」

 「紙幣頭?」

 得能は面喰(めんくら)って聞き返す。そもそも自分は1年半前、渋沢栄一との暴力沙汰を起こして大蔵省を追われた身である。拾われて司法省に移ったものの、50歳の大台を目前に、今の職もそろそろ後進に道を譲る頃と考えていたのだ。