西郷隆盛や大久保利通らの盟友として、明治維新の激動を乗り越えた薩摩藩士・得能良介。半ば隠居生活を送っていたが、母は「国のためにもうひと働きせんか」と上京を促す。西郷も得能の才を新政府で活かしてほしいと強く望んでいた。

祖母藤子の葬儀が終わって2週間ほどたったある日、朝命を帯びて鹿児島に帰来していた一蔵(いちぞう)(大久保利通)が得能の実家にひょっこり顔を出した。忙しい日程の合間を縫っての訪問である。
一蔵も西郷兄弟と同じく藩士時代からの家族ぐるみのつき合いで、特に、物怖(お)じすることなく「大久保のおじさん」と言っては懐に飛び込んでくる清子のことを気に入って、「お清どん」と呼んではかわいがっていた。
一蔵は仏壇の前で藤子の位牌に丁重に手を合わせ、吉子に無沙汰を詫びてしばし近況を報告したあと、客間に移り得能と向き合った。若い頃から何度となく酒を酌み交わし、藩や国の将来について互いの思いのたけを語り合ってきた部屋である。一蔵には襖(ふすま)のしみや柱の傷まで見覚えがあり、ここであぐらをかくと何となく落ち着いた気分になれる。決して豪勢ではないが、吉子や富樹子があり合わせでふるまう手料理も楽しみのひとつだった。
「この家も賑やかなお清どんが出ていっていささか寂しくなりもしたな」
一蔵が得能に銚子を向けながら話し始める。
「うるさい跳ね返り娘がおらんようなって、せいせいしちょる。婆ちゃん子でしょっちゅう里帰りしてきよるけん、そんなに来んでええと言うちょるばい」
良介らしいつっけんどんな物言いに一蔵が相好を崩した。
「そう強がらんでもよかろんもん。おいはお清どんのこつは自分の姪のように思っとったけん、縁談についても良か男ば紹介させてもらおうと考えちょりもした」
「あげん娘にそげんこつまで……」
「そやけん、信吾(西郷従道)との話が決まったことを吉之助(西郷隆盛)から聞かされた時は、しもうた先を越されたかと、喜ぶべき慶事なのに地団駄踏んだとです」
一蔵は本音ともお世辞ともつかぬ口調で打ち明け、注がれた猪口(ちょこ)を一気に空ける。
「清子の奴にはほんにもったいないこっじゃ」
「吉之助に会うた時、良介さんに2つ頼んだうち1つば聞き入れてもろうたちゅうて喜んどりました」
「まあ、そういうことになるんかのう」
得能はどちらの頼みも意外さに仰天したことを思い出し、苦笑いする。
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