前回までのあらすじ

新型コロナ感染症で重症化する患者としない患者の運命を分かつ因子──ファクターXを探るプロジェクトが、在野の医師らの呼びかけで大学・研究機関横断で始まった。患者の血液を検体として収集し、分析することを目指す試みだった。

→第1回

 日本には帰れない──。

 2020年3月、米国の首都ワシントンから北西に車で30分ほどの距離にあるノース・ベセスダ。医師の南宮湖(ナムグンホウ)は自宅でパソコンを眺めながらため息をつき、航空会社のサイトで成田空港行きのフライトをキャンセルした。

 呼吸器を専門とする南宮は18年からメリーランド州ベセスダにある米国・国立衛生研究所(NIH)に留学していた。米国の歴代政権の衛生政策に時に辛辣な批判を加えることで知られ、同国政府の首席医療顧問を務めるアンソニー・ファウチが感染症対策のトップに立つ世界有数の医療研究機関だ。

 南宮はもどかしい。NIHへ留学する前に南宮が働いていたのが、20年3月に大規模な院内感染が発生したことがさかんに報じられた永寿総合病院(東京・上野)だった。もし渡米が1年ずれていたら、コロナ感染症の最前線で対応に当たっていたのは自分だった。

 一刻も早く現場に入って力になりたい。そう思うが、調べてみると帰国は難しかった。南宮は日本の永住者であるものの韓国籍。当時、日本政府は、新型コロナウイルスの水際対策として永住者の再入国を制限する措置を取っていた。強行して入出国すれば、永住者としての権利を失う可能性があったのだ。

 日本には帰れず、NIHもロックダウンされて入れない。帰国を断念した南宮は、以降、せめて何かの役に立ちたいとNIHの同僚たちと米国の大学で公表された新型コロナ対策の治療計画などを日本語に翻訳する日々を送っていた。そんな折、知ったのが古巣の慶応義塾大学病院で金井隆典たちが始めたタスクフォースだった。

 聞けば、感染者から検体を収集し、分析して、新型コロナウイルス感染症が重症化する要因──ファクターXの有無を探るプロジェクトだという。くしくも南宮が長年取り組み、NIHでも継続して研究するテーマは、肺の非結核性抗酸菌感染症を重症化させる遺伝子についてだった。

 「ぜひ参加させてほしい」

 南宮はすぐに手を挙げた。といっても、米国にいるため自身で検体を集めることはできない。米国にいながら、やれることは何か。南宮は考えた。

<span class="fontBold">南宮湖は日本へ帰れないなか、米国・からタスクフォースの事務作業や検体収集の手続きを引き受けていた。今は帰国して慶応義塾大学病院に勤める</span>(写真=的野 弘路)
南宮湖は日本へ帰れないなか、米国・からタスクフォースの事務作業や検体収集の手続きを引き受けていた。今は帰国して慶応義塾大学病院に勤める(写真=的野 弘路)

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