予備校時代の同級生である2人はビデオ会議ソフトを使って互いの自宅から酒やお茶を酌み交わす「Zoom飲み」で旧交を温めていたが、会話のトーンはにわかに真剣なものに変わった。

 「隔離された空間を1つの村と捉えれば……」

 「そうだね。重症化する遺伝的背景が見えてくるかもしれない」

 ダイヤモンド・プリンセス号には約3700人の乗員と乗客がおり、大人数が狭い空間に閉じ込められていたことは大規模な感染拡大を招いた。しかし同時に、疫学的には、ウイルスの性質を見極める絶好の環境にもなり得ることに気づいたのだ。

 乗客や乗員には感染する者もいればしない者もいた。軽症で済む人もいれば重症化してしまう人もいた。全員が同じ場所で同じものを食べて同じように生活しているのだから、環境因子の影響は極小化している。つまり、遺伝的な背景による感受性の違いを見極めやすい。これが分かれば、対症療法に追われているウイルスとの戦いに先手を打てるようになる。

 そのために必要なのが、重症化した患者としなかった患者の血液──検体だった。

 結果として、船内で検体が確保されることはなかった。

 無理もない。まだ正体も定かでない感染症の拡大を食い止めるために、現場は治療と隔離に奔走していた。誰も「今」の命を守るために必死で、その「先」まで見通す余裕などなかったのだ。船籍が英国にあり、日本の行政権が及ぼせるのかどうかも微妙だったという事情もあった。

 だが、このゲノム研究者と消化器内科医という専門外の科学者が交わした会話が、歯車を静かに動かし始めていく。

 記者が小川と最初に会ったのは、コロナ禍前、17年のことだった。当時小川はスウェーデンのカロリンスカ研究所で教えることもあり、夏はスウェーデン、終われば日本へ帰ってくるという生活を送っていた。当時、55歳。だが、少年のように人懐っこい笑顔が印象的だった。

 21年5月に再会した時には、待ち合わせのカフェに半ズボン姿で自転車に乗って現れ、2時間以上熱弁を振るい続けた。その時、小川が言っていたのは、

 「日本では科学と政策が結びついていない」

 ということだ。

 科学が学究に終始しており、社会に対して変化を及ぼす政策のプロセスまで関与しようとしないことに対する違和感の表明だった。小川の目には、日本の医療政策や対コロナ政策が、いずれもその場しのぎで、科学根拠に基づいた本質的なものが少ないように映る。

 この思いが小川らを駆り立てた。誰もやらないなら、自分たちがやるしかないのではないか──。小川と金井はその後も何度かZoomで会話を続け、発想を固めていった。

 患者の検体を集め、遺伝子を調べ、重症化する因子を突き止める。客船のような極端な環境でなくても、有意な結果を得られるように数をそろえればいい。今重症化して苦しんでいる患者は救えないが、そのデータの蓄積から、将来、重症化するはずだった患者を救うことができるはずだ。

<span class="fontBold">慶応義塾大学医学部長の金井隆典は検体の収集に奔走した</span>(写真=的野 弘路)
慶応義塾大学医学部長の金井隆典は検体の収集に奔走した(写真=的野 弘路)

 日本人は新型コロナウイルスに感染しても比較的重篤化しにくい傾向が見られ、その不明な要因を京都大学教授の山中伸弥が「ファクターX」と名付けて模索していた。その答えが、検体から得られるデータから導かれるかもしれない。

 20年3月、もう2人が加わって4人で共同研究グループ「コロナ制圧タスクフォース」の前身となるチームを立ち上げた。資金も組織も何も当てがないままの見切り発車だった。

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