独創的な糸を開発したものの、衣料品の大量生産という奔流にのみ込まれ辛酸をなめた。それでも、時流におもねらず自分たちにしかできない糸を追い求めていった。その先に待っていたのは、とてつもない成功だった。
![<span class="fontBold">佐藤正樹 [さとう・まさき]氏</span><br>1966年山形県生まれ。日本大学山形高校から文化服装学院に進学し、卒業後アパレル会社に就職。92年に佐藤繊維に入社し、2005年に4代目社長に就任した。天然素材から作る独自の糸の開発やニット製品のブランド化に成功し、国内外の高級ブランドと取引する。日本ニット工業組合連合会の理事長や寒河江市観光物産協会の会長を歴任。(写真=向田 幸二)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00152/120700003/p1.jpg?__scale=w:500,h:396&_sh=08e0460e70)
1966年山形県生まれ。日本大学山形高校から文化服装学院に進学し、卒業後アパレル会社に就職。92年に佐藤繊維に入社し、2005年に4代目社長に就任した。天然素材から作る独自の糸の開発やニット製品のブランド化に成功し、国内外の高級ブランドと取引する。日本ニット工業組合連合会の理事長や寒河江市観光物産協会の会長を歴任。(写真=向田 幸二)
返品の山を築くという失敗から出直すことになった私が目を付けたのは古い紡績機。1960~70年代の機械を全国から買い集め、その機械で理想の糸を作ろうとしました。
なぜ古い機械だったのか。シンプルな構造なので改造しやすいんです。例えば綿を送り込むガイドやローラーという部品。私たちの糸だと、紡績するときにどうしても綿が引っかかってしまう。改善しようにも理想的な部品がないので、ホームセンターで買った金属板を加工して取り付けました。機械のスピードを適切に制御するプログラムも自作しました。
綿やウールを少しずつ梳(す)いて、伸ばして、撚(よ)っていく。大量生産とは真逆の発想です。じっくりと丁寧に糸を紡げるよう機械の使い方を試行錯誤し、工場長と2人で、生産ラインも全面的に見直しました。
いつしか、社員は私の方を向いてくれるようになっていました。私のクリエーターとしての執着心を感じ取ってくれたのかもしれません。
この記事は会員登録で続きをご覧いただけます
残り1871文字 / 全文2386文字
-
「おすすめ」月額プランは初月無料
今すぐ会員登録(無料・有料) -
会員の方はこちら
ログイン
日経ビジネス電子版有料会員なら
人気コラム、特集…すべての記事が読み放題
ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題
バックナンバー11年分が読み放題
この記事はシリーズ「佐藤繊維・佐藤正樹社長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?