創業の地である山形に根を張り、自らが信じるものづくりの哲学を糸やニット製品に吹き込み続ける。東京での仕事に熱くなれず、家業に戻った1990年代。待ち構えていたのは厳しい繊維不況だった。独自色を打ち出すことで生き残りを図るが、怒りに震えるしかない出来事に直面した。

<span class="fontBold">佐藤正樹[さとう・まさき]氏<br>佐藤繊維 社長</span><br>1966年山形県生まれ。日本大学山形高校から文化服装学院に進学し、卒業後アパレル会社に就職。92年に佐藤繊維に入社し、2005年に4代目社長に就任した。天然素材から作る独自の糸の開発やニット製品のブランド化に成功し、国内外の高級ブランドと取引する。日本ニット工業組合連合会の理事長や寒河江市観光物産協会の会長を歴任。
佐藤正樹[さとう・まさき]氏
佐藤繊維 社長

1966年山形県生まれ。日本大学山形高校から文化服装学院に進学し、卒業後アパレル会社に就職。92年に佐藤繊維に入社し、2005年に4代目社長に就任した。天然素材から作る独自の糸の開発やニット製品のブランド化に成功し、国内外の高級ブランドと取引する。日本ニット工業組合連合会の理事長や寒河江市観光物産協会の会長を歴任。

 このロン毛の金髪ですか? 通販専門チャンネルの「ショップチャンネル」への出演が決まった18年前、佐藤繊維という無名の中小企業に少しでも興味を持ってもらおうと思ってこの髪形にしたんです。それ以来、ずっとこの金髪です。国内外どこへ行っても目立つからすぐ覚えてもらえるし、声もかけてもらえる。ブランドの発信源になっているんですよ。

 当社は、私の曽祖父が山形県寒河江市で創業した紡績会社をルーツとする、繊維とニット製品のメーカーです。米国のバラク・オバマ元大統領の夫人、ミシェルさんが着用したカーディガンの糸を開発したメーカーとしてご存じの方もいるかもしれません。

 今でこそ欧米の一流ブランドに糸を供給したり、自社ブランドのニット製品を大手百貨店で販売したりするほどに成長しましたが、かつての姿は大きく違っていました。アパレルブランドの下請けとして、言われた通りの製品を相手の言い値で生産するだけ。ニット製品もアパレルからは相応の価値を認めてもらえない弱い立場でした。

 しかし、常識破りの発想力と創造性さえあれば、トレンドとは無縁に異彩を放ち続けることができるんです。取締役になった1997年ごろから、私は「流行は追わない」という方針を貫いてきました。「自分たちにしかできないものづくりにこだわり、市場を創造していく」。こうした信念が揺らいだことは一度もありません。

 下請けにすぎなかった繊維会社を、どのようにオリジナリティーのある企業に変えてきたのか。そこには人知れぬ苦労がありました。今回はその道のりをお話ししましょう。

続きを読む 2/3 花形だった繊維産業

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この記事はシリーズ「佐藤繊維・佐藤正樹社長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。